「れんこんネット」の掲示版がインターネット上に復活しました。交流の場として活用して下さい。 旧れんこんネットハンドル「Eggs」(yasushi @ siri.co.jp) [2000.10.25から 2753020回目の表示]
どもども、誠三郎/McOttoです。 レジNさんと最後にお会いしてから、もう5~6年? もっとでしょうか? 本当にお懐かしいです。アメリカでもお忙しそうですね。確かに暇で暇で、というのは耐え難いものですよね。 私がやっている移動体通信は開発のサイクルがどんどん短くなってきて、仕事がきつすぎて外注さんを含めてかなり辞めてしまいました。会社に来なくなっちゃった人もいます。 まぁ、私は忙しいとは言っても出勤時間を遅らしたりしてるので、残業は月200時間までは行かないです。…ん~、客観的に見ると多いかな(^_^;) けどもっとすごいのがいますし。 最後に連休をとったのが確か正月休みというのがちょっとつらいですが(^_^;) あとちょっとでやっとリリースしますので、今月は休みを取りたいな(^_^) でも次の仕事のフォローが… NAYUTAさんは会社で見かけますが、このところ話をしていませんね(^_^;) ここに来るように言っておきます。 さて、こういうところもできたし、なんかやりたいですね。
(^^; ども、意味不明でスイマセン。 シゴトの発注書が、本来なら金曜日に出るはずだったのに、未だ出ていなくって 未だ、9日の予定が立てられていません。 左記ほど、海山町での集会から帰ってきたところ。講演者は南島町民!漁師たち(^^)。 「左記ほど」じゃないや、「さきほど」だね。 zipp
ぼくがあのメッセージを読むところによると、 zippさんは9日夜のオフをいまだに希望しているけれども、 まだわからない。もうすぐわかるはずだが、ということなので はないでしょうか? つまり、 > オフ会の話だけど、ぼくが今度東京に行く予定は、12月10日の高木仁さんを > 偲ぶ会の日比谷公会堂です。これはシゴトの出張じゃない上京予定。12月9日の > 夜にでもオフ会が設定されたらいいなぁと希望しちゃいます。 という、その昔、書いたのは生きてるのではないかと思うのですが。 本人が正しい答えを出す前に、それぞれが推測するのも楽しいかもしれない。 というわけで、東京方面にはzippさん登場にあわせて会いたいなと 思ってる人が少なくとも二人はいるわけですから、 やっぱり、どうしたいのか早めに知らせて欲しいです。>最近耄碌が甚だしくなっている…簡単な計算ができなくなっているよーな気がする…うーっ。 もうろくするのはみんな同じなので、じたばたしないことが重要なんじゃないかと思うよ。 まあ、じたばたしながらぼけていくのも悪くないかもしれない。
住民投票を求めるための署名などは,特定の集め方をしないと, 住民投票を求めるために必要なだけの数の署名が集まったとは, 地方公共団体が認めない。 でも,署名によってはそうではない。 もともと政治的なアピールとして行なわれるような署名ならば, 集め方は特に問われないのだから,インターネットで集めるのも 有効だと思う。
お忙しそうで何よりです>zippさん 9日は忙しいであらう、と。まあもし9日中から上京するようであればお気軽に泊まりにでもきてください。 10日は要するに偲ぶ会に続いて別の集会をやるということですね。 まあ、その場にいる人がいたら集まってどっかに流れるということもありそうかな。 お会いできることを楽しみにしております。
こんちは!zippです。 12月を控え忙しくなってきました。9日の夜、東京は無理そうな状態になってきています。 土曜出勤状態になるのでは?と思う。近日中に発注書が来るのでそれで仕事量が判断できるの ですが…。 シゴトも忙しいのだけど、芦浜の南、大白でここ数年推進派が動いていたのだけど、この12月の町議会に「原発誘致請願」を 出す動きがあり、そちらの方も忙しくなってきた(大白(oojiro)。海山町)。 この大白もまた、芦浜と同じように海跡湖、大白池がありハマナツメが育っているところです。 12月には立て続けに南島町の人たちが講演者になり、演壇に立つ集会が開かれようとしている。 海山町内では、「脱原発みやま」、「原発反対海山町民の会」(共産党系住民グループ・海山 町は、町議会に2議席の共産党議員が居る。南島町の共産党議員も海山町出身。徳田球一が中国 への亡命の手助けをしたのは、海山町の漁師だと云われている…、伝統的に共産党が強い地盤を持っている町だ。 10日日比谷なんですが、高木さんは、資料情報室もある意味では残した。高木学校も残し、 また新たに遺言で「高木基金」を創るのだそうです。(資料情報室のURLを参照のこと) でっ、基金を募っているらしい。また11月20日に工作舎から、闘病生活中に書かれた 小説を上辞されました。(工作舎のURL参照) その日偲ぶ会が終わった後、高木章二さんだったか?同じ日比谷公会堂でプルサーマル関係の 集会を開くみたい。 おっと、McOttoさん!おしさ~!です。 佐藤工務店さんて2cvさんだったのですね。 そいでは。 最近耄碌が甚だしくなっている…簡単な計算ができなくなっているよーな気がする…うーっ。
署名ってメールでもOKなのかな?? 安田弁護士保釈要求の署名のとき、メールや ホームページを使えないかどうか、検討したのだけれどせいぜい署名用紙をダウンロード してもらうぐらいしかできない(自筆でなければ有効でない)という見解になったよう な気がしますが。 そういえば水俣写真展、見のがしてしまった。
なんか話を途絶えさせてしまったようですが、 下の署名 主旨に賛同できたら、送ることの出来る友人などに転送してもらえれば うれしいです。
先日はどーも 楽しかったです。 また、大社長宅に泊めてもらいました。泊めてくれてどーも>KJ あえなかった人はこんど会いましょう。 ところで、zipp氏から返事がないんですが、どうしてるんでしょ。 ==以下、署名のお願い== この署名ですが、95-96年の和解を拒否して唯一残っている 水俣の裁判に関するものです。 この署名は aah07310@pop02.odn.ne.jp 宛にメールで送ることも 出来ます。 詳しくはチッソ水俣病関西訴訟を支える会のHPを見てください。 http://www1.odn.ne.jp/~aah07310/ 署名の第二次集約は2001年1月15日になっています。 チッソ水俣病関西訴訟・控訴審判決への要請署名 要請主文 一、原告患者すべてを水俣病と認め、原告すべてへの賠償を加害者に命じて ください。 一、国行政と熊本県も、チッソと並ぶ水俣病の加害者であることを判示して下 さい。 要請理由 戦後の高度成長期、水俣湾と不知火海は化学工場チッソの廃液による水銀汚染 で未曾有の被害を受けました。漁場や生活を喪った沿岸住民は、職を求めて全国 の大都市へと出郷。移住者が一番多かったのが京阪神地区です。 「体の具合のおかしかばってん誰にも相談できん」「水俣出身ち言うたら差別 される」・・・・そんな県外患者ならではの不安とも闘いつつ、関西在住の未認 定患者・家族がチッソ・国・熊本県を相手に損害賠償請求訴訟を起こしてから、 既に一八年の歳月が経ちました。一九九四年の一審判決は患者の一部への賠償を 否定し行政責任も認めない理不尽なものでしたが、原告はこれに服さず控訴し、 一九九五年の和解にも参加せず、九五名で訴訟を継続してきました。控訴審の結 審を経た現在、私たちは、孤立も辞さずに志を貫いた原告への敬意と、訴訟中に 他界された二○名の故人への哀悼の念を新たにしています。 さて、水俣病問題は、一九七三年の一次訴訟判決でチッソの賠償責任が確定し たものの、その適用をうけない未認定患者の問題は以後四半世紀にわたって未解 決でありました。ですから、水俣現地や各地訴訟の多くの被害者たちが、一九九 五~九六年の「政府解決策」による和解救済を選んだのも、やむを得なかったこ とと思われます。 しかし、工場排水に有機水銀(中毒の病因物質)が含まれると知りつつ規制指 導をしなかった国の責任は不問に付されたままです。水俣湾産魚介類(中毒の原 因食品)の採取販売を禁止する食品衛生法を発動しなかった厚生省と熊本県、水 質二法の指定を怠り続けた経済企画庁と通産省。せめて一九六○年前後に、これ らの対策がひとつでもとられていたら、被害がかくも広く長きにわたらずに済ん だことは明白です。 また、どのような症状を水俣病と診るか?という認定基準においては、「厳格 に過ぎる」と繰り返し指弾された環境庁の水俣病判断条件が見直されないままで した。歴史的に水俣病加害の一端を担い、今も患者認定の絞り込みを任とする行 政が「解決策」の中で自らを反省否定するには、限度があったのです。 かくなるうえは、やはり、三権の一角を独立して担う、裁判所の判決に期待す る以外にありません。「曝露歴と感覚障害があれば水俣病と診断できる」という 以前からの司法判断は、本控訴審で日本精神神経学会の裏付けをも加えました。 また一審以来の累々たる証言や書証は、「国と県も水俣病の加害者」との明確な 判示をもってしか、歴史に位置づき得ません。 チッソ創業者が化学工業を始めたのは二○世紀の初頭です。戦前戦後を通じ、 この国の重化学工業推進の最大の受難・被害が水俣病であることは、誰の目にも 明らかです。産業経済を優先するあまり、人命・人権や環境に重大な毀損を与え 続けた水俣の百年を総括するに、これまでの諸判決と「政府解決・首相談話・チッ ソ救援国庫投入」のみでは画竜点睛を欠きます。二一世紀に悔いと恨みを残しま す。ゆえに、貴裁判所の控訴審判決に当たり標記二点を心から要請する次第です。 今世紀水俣病の「最後の審判」を、私たちは緊張と期待のもとで凝視していま す。 大阪高等裁判所 民事第三部裁判長 岡部崇明 殿 ==
McOttoさん、本当におひさしぶりです。懐かしい方が来てくださるのはとてもうれしいですね。 お仕事相変わらずたいへんですか。うーむ。 NAYUTAさんは元気なのでしょうか?