1990.10.26発行
★☆★ 発刊にあたって、WREP 総帥のお言葉(みなさん、ご起立下さい) ☆★☆
思い起こせば7月のれんこん製作オフの後、ファミリイレストランで行われた秘密会談が発端であった。 この時私は、脱原発運動における、パソコン通信の限界について問題提起をおこなったのであった。 いかにして、脱原発をひろめて行くか、一番手っ取り早いのは新聞等のマスメデイアに乗せる事である。
しかし新聞社と電力会社の癒着という現状では、それは、不可能である。 ならば、我々の手でミニコミを作ろうではないかと言うことになったのである。 と言えばカッコいいが実は、かの有名な[名前のない新聞]の紙面をれんこんで乗っ取ろうと企てたが、その野望をアマナクニさんに見破られ、 自分達でミニコミ誌を作るハメになったのさっ。
あとは、なりゆきで作ってしまいました。それで、みんな、原稿は遅れる、編集会議に来ない、よくここまで出来たと思いますね。 これも皆、私の人徳とでも申しましょうか、わっはっはっはっは。そんで、私は最終の編集会議をほっぽって、福島に行ってまいります。 後の事は、レジスタ-Nさんにまかせました。
編集長 サダム・フセイン
Vanguard
れんこんネットって何でしょう。れんこんネットはパソコン通信ネットです。「パソコン通信」という言葉、最近よく耳にするようになったと思いませんか。なにかとドラマや映画のかわった脇役としてお目にかかる機会も多くなったと思います。パソコン通信を使って株式情報を手にいれ財テクする、とかパソコン通信をつかって新聞に掲載される前の記事を入手する、等々パソコン通信ってなにやらかっこよくてむずかしそうです。
パソコン通信っていったい何物でしょう。パソコン通信っていうぐらいだからパソコンを使って通信をする、ということ位はすぐに想像できますがちょっとピンときませんね。「パソコンを使って通信?なにをするんだろう。なんかむずかしそう。なんか私の手にはおえないみたい」とすでに思ってる方もいらっしゃることでしょう(^_^)。「パソコン通信ってパソコンをつかってパソコン同士でお話するのかしら。それなら電話の方がずっといいじゃない」「パソコン通信ってファックスみたいなものかしら。だったらパソコンなんか使わなくてもファックス使えばいいのに」なるほど、なるほど・・・・。
パソコン通信というのはパソコンを使った新しい通信方法です。電話のような会話も文字を使ってできますし、ファックスのように絵や文書も送ったり受け取ったりできます。勿論音なども、パソコンのデータの形になる物ならばすべてやり取りできるのがパソコン通信です。パソコン通信はおもに電話回線を介して情報をやり取りします。パソコンか、最近増えてきた通信機能付きのワープロ同士を電話線でつないで情報をやり取りするわけです。パソコン・ワープロ(通信機能付き)と「モデム」というパソコン・ワープロ用の電話機を揃えれば比較的簡単に始めることができます。
このパソコン通信に「ネットワーク」という言葉がプラスされると、トンでもない可能性が生まれてきます。パソコン通信ネットワークとは電話回線を通じてある一ヶ所にあるパソコンに接続し、多くの人とコニュニケーションを可能にした人の輪を指します。その一ヶ所にあるパソコン、これをホストコンピュータといいますがその名の通りネットワークのホスト的役割を果たしています。
このホストコンピュータは例えるなら町の公園や公民館、広場のようなものです。電話線をつかってその広場や公園に集まってきて、 自分の持っている意見や有益な情報を広場の掲示板に書き込みます(一般に「電子掲示板」とか「ボード」、「フォーラム」などいろいろな名前がついています)。その掲示板をみたほかの人はお返事やまた新しい意見、情報を書き込んだりします。そうやっていろんな人が掲示板での意見や情報をやりとりしてコミュニケーションの輪を広げて行くのです。
この広場にはいろんな分野の掲示板があります。様々な趣味に関した掲示板。なんでも語りあう掲示板。ちょっと真面目な論議をかわす掲示板。 その掲示板をとおして、日常では話す機会もないような分野や世代、地方の人と家にいながらにして話し合い、友達になる事ができます。 またこの広場のなかでは掲示板のほかに、プライバシーが守られる手紙をいろんな人に個人宛で出す事ができ、 さらに深いコミュニケーションも可能です。(これは一般に「電子メール」などと呼ばれています) またコミュニケーションだけでなくコピーを認め、無償で配布されるフリーソフトウェアや画像データも手にいれる事ができます。 その他ファックスサービスといってパソコンは持ってないがファックスが利用できる人に普通のファックスより綺麗なファックスを送るサービスや、 ネット上で買い物を楽しめるオンラインショッピングなどさまざまなサービスが用意されています。
パソコン通信ネットワーク(以下ネットと略)は企業が運営しているものもあれば、個人で運営しているものもありますし、 会員から使用料をとるネットもあればまったく運営者の善意で運営されているネットもあります。
大企業が商行為として運営しているネットは全国各地に専用回線を持ち、会員も十数万人と大変大規模で、 掲示板の数などは目的のものを探すまでに迷子になってしまう程たくさんあります。 会員が全国から集っていて東京にいながらにして稚内や沖縄の人と巡り会って手紙をやり取りしたりお話したりすることもできます。 電子メールなどは電話で連絡を付けるよりも早くて安上がりなことが多いです。また新聞に掲載される前の記事をスクラップしたり、 株式情報をいち早く入手したり、世界規模の巨大なデータベースから自分の欲しい情報を入手する事も可能です。 むろんそれなりの使用料もとられますが・・・・。
個人が善意で運営しているネットはふつう「草の根ネット」とよばれています。その名の通りパソコン通信の草の根的存在として実に様々なネットが運営されています。個人で運営されているネットの殆どは自宅の電話回線とパソコンを利用してホストを作り上げ、ネットのメンバーに無償で提供しています。メンバーは数十人から数百人で、大体ホストのある地域のメンバーが多くローカルな雰囲気でアットホームなネットが多いです。大企業商用ネットの様なさまざまなサービスなどはありませんが、メンバーとのコミュニケーションを重視した通信が楽しめます。また同好の士が集まってその分野専門のネットなども運営されていますし、ネットごとにいろいろな色をだして個性的なコミュニケーションの輪を広げています。たとえばお医者さんばかり集まったネット。法律家が集まったネット。漫画好きが集まったネット。本が好きな人が集まったネット。肩の凝らない話が好きな人が集まったネット。高校生(精神年齢が高校生(^_^))が集まったネット。音楽大好き人間が集まったネット。
大手ネットでは出来ない、小回りのきく企画や個人に行き届いた身近なコミュニケーションを実現することができるのが草の根ネットの魅力です。また大手ネットに加入する前に練習する意味で草の根ネットに参加すると常連の会員がかならず親切に教えてくれるので(→注)「わたしって機械オンチだから・・・」と後込みしてた人がいつのまにかネットの人気者になっていた事もある程参加しやすいのが最大の魅力でしょう。
れんこんネットは草の根パソコン通信ネットワークです。つまり数多くある「個人で運営しているパソコン通信を利用してコミュニケーションをはかる人々の集まり」の中の一つというわけです。れんこんネットってどういうネット何でしょうか。
れんこんネットは1989年の10月26日にできました。なぜ10月26日なのでしょう。10月26日は原子力の日なのです(なんでも日本初の原子炉が動きだした日だそうです)。もともとれんこんネットは『れんこんプロジェクト』という、パソコン通信をフルに活用した原発・放射能情報監視計画の中央ホストセンターの様な役割を果たす目的でつくられました。
このように書くと「なにやらすごく難しいことやってるなあ」と思われるでしょうが、すべてパソコン通信で知り合った一般の人々のボランティアで発案し実現に向けて動いています。
近年、原発事故に関しては非公開な部分が多く、いずれも発表は遅れがち。もし大事故などが起こった場合,発表が遅れて市民が被曝する可能性は充分考えられる。ならば自衛手段として自分達の手で放射線を測定し判断の材料にしようという動きが見られはじめている。
すでに500基以上販売されており比較的有名な「R-DAN」(8万円:東芝アンペックス)の購入者間で電話連絡網を使って放射線漏れを監視しようという動きがある。24800円の安価でコンパクトで使いやすい物を売り出す市民団体も出てきた。
そんな中、パソコン通信ネットワーク「れんこんネット」の有志が高機能ガイガーカウンター付モデム『れんこん』を自主制作し「れんこんプロジェクト」なるものを始動させようとしている。
『れんこん(RENCON)』とは「事故のときには放射線情報をネットワーク上で公開する」という意味の英文の頭文字続けたもの。 「れんこん」は「はす」と呼ばれるガイガーカウンター部と家庭の電話回線とパソコン・通信機能付ワープロをつないでパソコン通信を実現させるモデムが合体している。 ガイガーカウンターで検出したデータをモデムを介して今流行りのパソコン通信ネットワーク上で活用しようというのが「れんこん」の発想である。 この発想は全く無人でのデータ集計や事故時の警告発信を可能にする大変画企的なもの。 モデム部の大きさは文庫本の約半分で「はす」はそのまた半分と大変コンパクト。 「はす」はγ線とβ線の一部を測定し、今市販されているものの中では最小(未確認ではあるが世界最小)を誇る。 またモデム部も最小の部類に属し、「れんこんプロジェクト」を実現させるために市販のものとは比べ物にならない程の機能が搭載されている。無論、通常のパソコン通信にも使える。
この「れんこん」は「れんこんネット」の会員宅に設置され、常時放射線を検出しそのデータをモデム部が記憶。モデム部は一定時間毎のデータを自動で「れんこんネット」のホスト(中央)コンピュータに報告する。ホストコンピュータはそのデータを集計して会員がいつでも閲覧・活用できるように公開するのが常時の活動。
万が一事故などで異常値が検出されれば「れんこん」が自動で電話回線を使いホストコンピュータに報告。同時に会員が指定した電話番号にも電話をかけて異常を知らせる。異常値の報告を受けたホストコンピュータは緊急で異常警報をネット上で公開し各会員に知らせる。また同時に会員数十万人を越える全国規模の大手商用ネットにも異常警報を公開して多くの人に瞬時に異常を知らせるという。これだけの動作を驚くべきことに全て無人で行ってしまう。しかし事故がいつ起こるかわからないことを考えれば無人で動作することはむしろ必然ではないだろうか。
その他屋外に「れんこん」を持ち出しての利用も考えられ、「れんこん」の高機能さとパソコン通信の利点を活かした「れんこんプロジェクト」の今後の拡がりが期待される。
この「れんこん」はれんこんネット有志がボランティアで作成。設計から制作まで全て手作りなので殺到する注文に応じきれないのが悩みのひとつ。現在第一次生産分の30台が完成間近で1セットの領価は14300円。殆ど原価で領布されており、ボランティアだからこそ実現できる超低価格である。残念ながら現在の予約はいっぱいで、もし希望される方は次回の第2次生産分予約受付開始を待っていただくことになりそう。
れんこんネットのリーダーでありれんこんの設計・発案者でもある二宮氏は語る。「とにかく原子力の問題ってすごく非公開ですよね。『れんこん』を作ることによって、隠し事は許さないぞ!という意志をアピールしたかったんです。自主的にこんな動きをする人達が出てくるだけでも、原発推進派にとってはかなり脅威になるんじゃないでしょうか。」
「れんこん」と一緒に作られたパソコン通信ネットワーク「れんこんネット」は「れんこん」のデータ集計だけでなく様々な市民運動関連情報の交換や議論の場ともなっている。注目すべきは、市民運動グループとは全く縁がなかった人々が多く参加して意見をやり取りしている点である。多くの人に門戸を開き気軽に出入りできるパソコン通信ならではの事である。因みに「れんこんネット」の入会料・使用料などは一切無料である。
この様にパソコン通信を活用して従来の市民運動グループの枠を越えた新しい運動が展開されている。「れんこんプロジェクト」そのものはまだまだ未熟で「れんこん」自体も信頼性などに欠けるかも知れない。しかし多くの人に放射線をもっと身近に感じてもらい原発問題に対して主体性をもって考えるきっかけになれば、それだけで「れんこんプロジェクト」は意義あるものとなるだろう。
「緊急警報!! テストではありません。×月×日×時ごろ 福島在住の会員 **さんのれんこんが通常の80倍の値を検出。何らかの重大な事故が発生した模様・・・」
「れんこんプロジェクト」はこのような異常警報を出すためのものでなく、出さなくてすむように努力している人々の声である。そして今日も脱原発の象徴として「れんこん」は原発を監視し続ける・・・・・。
* * * * *
この記事はは市民運動関係を専門に取り扱う「なまえのないしんぶん」という月刊紙に掲載された筆者の拙文です。
とまあこれがれんこんネットの構想です。次回はれんこんネットのなかを旅してみたいとおもいます。
文責 Vanguard
はたくん
「放射性れんこん」では毎号、今の所40台ほどの予約の入っている「れんこん」(今後どんどん出荷していきます)から送られてくるデータを掲載していきますっ。ここは、放射線測定データをいろいろと料理しながら見ていこうというコーナーです。
まず今回は、あまり材料が無いので「いったい『れんこん』ってどんな測定データを送ってくるんだ」をテーマにしてみましょう。モデム付きガイガーカウンター「れんこん」は、ガイガーカウンタの検出する放射線のカウントを「れんこん」内部に貯めておいて、1カ月に1度「れんこんネット」に定期自動通報します。更に、もしカウントが異常に高くなったら、1カ月待つなどという悠長なことはしていられないので、スグに「れんこんネット」に自動通報します。(あたりまえですね)
それではさっそく、テスト版として三重のzippさんとこに行っている「れんこん」からの通報データを見てみましょう。(実はまだこの1台からしか正式なデータが採れてないのです(^_^;))
90年7月26日 から90年8月26日 の1ヶ月分の測定データ
↓7月26日 8月4日↓ 0 0 0 0 0 0 0 0 0 4 10 9 11 11 11 11 10 11 11 11 11 3 11 12 11 11 11 11 11 11 12 12
↑8月26日(この日が間違っている可能性大。レジNさんチェックしてください。だって26日の2時に通報しているのに12なのはおかしい)(設置されたのも3日じゃないのかなぁ)(お答します。26日のデータというのは、26日の何時に読んでも25日の0時から24時の間の観測データが示されます。このように、ある日とかある時刻とかのデータとは、その日とかその時刻の直前のある区間において測定されたデータになります。これは、気象丁でも採用している方式なのであります。)
これは初めてれんこんに正式に通報されたデータです。
この「れんこん」は、8月4日に設置された(芦浜キャンプの時です)ので、それまでのデータがゼロになってます。それ以降は、毎日10~12の測定がつづいてますね。
実はこの「10」や「12」ですが、「1日に12個の放射線を検出した」というわけではありません。実際は一日に何千回も検出します。しかし、測定データは、実用になる範囲で下の桁を切捨てた方が処理がしやすいから、ここでは「10」などというタダの「数」になってしまっています。
90年8月27日 から90年9月27日 の1ヶ月分の測定データ
12 12 12 12 12 12 11 12 12 12 13 12 13 12 12 12 12 12 12 12 12 12 12 11 11 12 12 12 12 12 11 8
これは9月の通報データです。9月になって、検出される放射線が安定していますね。
今回は、材料が少ないので、このくらいで終りにしましょう(^_^)。
これから毎号このページは全国の放射線測定データでいっぱいになる予定です。
今回掲載した9月の測定結果のように、放射線の量は事故でも無ければ大きく変わりません。が、なんとかそこを克服!?して、楽しく読めるように今後工夫していく予定ですっ。
それでは最後に、三重の「れんこん」が記録をした毎時のデータと毎分のデータを掲載します。このデータは自動通報はされませんが、「れんこん」にコンピューターをつなげば見れてしまうのです。
90年9月27日 00:30:06の前60分の測定データ
2 2 2 4 3 5 3 4 2 0 2 3 1 2 3 0 2 3 1 1 6 1 2 5 4 1 4 2 1 3 3 2 2 2 3 0 3 2 1 1 2 1 1 1 4 5 5 1 2 6 2 2 2 2 2 3 1 1 1 2
毎分2~3カウントがあります。「毎日」のデータは1日1日であまり変わりませんでしたが、「毎分」のデータは、下はゼロから上は6までバラつきます。
90年9月26日 1時から90年9月27日 0時の24時間分の測定データ
136 140 102 112 116 140 158 134 149 139 130 112 131 126 130 122 126 119 131 137 133 180 134 128
1時間で140カウントぐらいあります。
「毎時」と「毎分」のデータは、「放射線を検出した回数」です。
てなわけですが、あのぉ。。。*月*日というのが非常に曖昧で、しかも今回のzippさんのデータは自動通報ではなかったり・・・・
通報・自動通報は、わからないように文中で使い分けましたが、日時の方が問題ですね。
8月のデータは26日になってるのに9月は27日になっていたりして(^_^)
また、通報の方法は決っていますが、それをどういう形で表にして表現するかというのは、まだ決っていないので、今回は「れんこん」がコンピューターに送るのをそのままの形で書いてみました。
1990年10月9日(Tue)
… げんぱついらないよ … はたくん
by レジスターN
最初は、芦浜関係のログファイルをヒョイヒョイと整理して、それを提出して終わりと思っていました。ところが、調べてみると芦浜関係のファイルはかなり量にのぼり、とてもいくつか選んで貼り付けて終わりという風にはいかないことがわかってしまいました。 かと言って、私が新たに書き下ろしたのでは、れんこんネットにたまっているみんなの書き込みを紹介することができなくて、この「放射性れんこん」の主旨に反してしまいます。
まぁ、とにかく、できるだけログファイルからの切り貼りを行うようにして、書いてみることにします。編集長がつけてくれた、ものすごいタイトルに見合うものになるかどうか、ちょっと自信がありませんが・・・。
そもそも、私が今年の3月末から4月始めにかけて、zippさんのところに遊びに行ったのが、ことのおこりでした。zippさんと一緒に錦に行った時に、次のように書いてました。
「zippさんは、ここでもキャンプしたことがあるということですが、キャンプするなら芦浜の方がずっといいところだそうです。
れんこんネットの今年の夏のキャンプは芦浜しかないな、みんな交通費位はためておくように。(と、勝手に「れんこんキャンプ」をやる気になっております。)」
#55 《峠の茶屋》 BY たー坊
それで、芦浜キャンプの話が盛り上がるのは、はたくんの次の書き込みがあってからでした。
#142 / #142 《峠の茶屋》
★タイトル Posted 01:49 on 90/05/20 From はたくん
芦浜きゃんぷ!>どんなところなのでしょうか。。。
★内容
はい!
ということで、もしかしたら、うちのさやえんどうの2年のぢょしこーせー
さんが行ける・・・かも・・・しれないのですよ!!!
というわけで、さやえんどうの夏の合宿と合同にしたいなぁ。。。
この書き込み以降
#143 / #143 《峠の茶屋》
★タイトル Posted 11:03 on 90/05/20 From レジスターN
ZIPPさーん、説明お願いーーー!#144 / #146 《峠の茶屋》
★タイトル Posted 12:41 on 90/05/22 From こーへ
芦浜キャンプ?!
こーへですが.じょしこーせいが行くなら
とーぜん私もいく!!#148 / #148 《峠の茶屋》
★タイトル Posted 19:07 on 90/05/23 From はたくん
芦浜キャンプ>こーへさんのったぁ!!#149 / #149 《峠の茶屋》
★タイトル Posted 23:02 on 90/05/28 From げんげ堂 zipp
う゛ぇぃ!ぢょしこ~せぇ~? zipp#152 / #154 《峠の茶屋》
★タイトル Posted 03:15 on 90/05/30 From はたくん
RE#149,151>ほいほいzippさんまってますよ
説明まってますぅ。「芦浜のすべて」というのを。
という具合に、女子コーセさん参加の声につられて、こーへさんは車を出す約束してしまい、zippさんは「芦浜のすべて」を執筆することになってしまったのでした。かくして、れんこんネットでは、今年の5月以降、芦浜キャンプが夏の一大イベントとして確定したのでありました。
実際に、芦浜キャンプのことをしっかり決めるまでが、またいろいろあってたいへんだったりしたのですが、それはまぁいいとして、出発してからの話に飛んでしまいましょう。
さて、どのへんから報告を始めましょうか。私が青春18キップで、名古屋行き鈍行に乗って、伊勢に向かったということは、どうでもいいことですね。それで、伊勢に着いてから、zippさん、柴原さんと一緒に買い出しに行ったりしたのですが、それもまぁ報告するほどのことでもないでょう。
それで、その後、注連指のzippさんの家で、スイカをよばれてのんびりした午後をすごして、「注連指は、ほんとうにいいとこだなぁー」と再度実感したのですが、まぁそのへんも置いておきましょう。やはり、話は錦に集合してから、芦浜へ向かうところあたりから始めるべきでしょうね。錦というのは、芦浜から南側に紀伊半島を下ったところの漁村なんですが、芦浜に向かう、一番ゆるやかな道はここから出ているので、私達はこの町にある「郷土を守る会」の事務所に集合したのでした。
4日の日に錦に集合したのは、大人8人、中高生3人、子供3人の計14人でした。この中でパソ通関係者は、zippさん、アオサギさん、たー坊さん、Ναδαさん、レジスターNの5人でした。それで、食料やら、テントやら、ビールやら、を分担して芦浜まで運んだのでした。
#327 《峠の茶屋》 BY レジスターN
実は、この「芦浜まで運んだのでした」が、たいへんだったのです。
それにしても色々あったなー。芦浜海岸へ行くのに(おばあちゃんに教わって)とんでもないサバイバル・コースで行ったんだよね。ほとんど傾斜が70゜という感じの絶壁?で、荷物は重いわ、足元は滑るわ、、、。後に「あのおばあちゃんは推進派だったのではないか」などという冗談が出た程だった。
これでいきなりバテにバテて「これでは芦浜登山だ」となった訳で、帰りに通った階段のある道で行けば、そんな文句も出なかったと思う…。よくよく考えると、私も睡眠時間少なかったの。前の日に早くふとんに入ったけど、眠れなかったから。
Ναδαさんなんか、徹夜で車を運転して来たのだから…。
#333 《峠の茶屋》 BY たー坊
はたくん達一行は、そもそも錦までくるのがたいへんでした。はたくん達は、翌朝早くこーへさんの車に乗って錦に着く予定になっていました。
だから、
翌朝、はたくん達がまだ東京内にいるとは露知らず、「あれだけ、早く芦浜に入りたがっていたからなぁー」と思い、眠い目をこすりながら5時30分に起きだし、zippさんと2人で、例の山道を今度は錦に向かったわけでした。
#334 《峠の茶屋》 BY レジスターN
となったわけでした。ところが、こーへさんとはうまく会えなかったみたいで、なんと新幹線で来るということになってしまったのでした。山を越えて、錦の「郷土を守る会」の事務所についた私とzippさんに待っていたのは、電話のベルでした。
電話で話ているzippさんの話ぶりが、どうも変で、「これは何かあった」と思ったのです。そして、この後、始めて私たちは事実を知ることになるわけです。
この時、時刻は7時ころでした。はたくん達が紀伊長島に11時ころ着き、それを迎えに行くということになった、私とzippさんはしばらく暇になってしまったわけでした。
私とzippさんはしかたなく事務所でゴロっとして、しばらく仮眠して、適当な時間になってから紀伊長島に向かったのでした。そして、まず買い物をすませました。特に社長が待ちわびているビールを買いこんで、新しく氷をつめたクーラをずしりと重くしたのでした。(後で社長曰く「なんで、ビール持って一人だけ先に戻ってこなかった」)
#334 《峠の茶屋》 BY レジスターN
たどりつくまでが、いろいろたいへんだったりしたのですが、芦浜は、ほんとうにすばらしいところでした。私達は短い期間ではありましたが、十分そのすばらしさを満喫したのでした。
そしてまた、今回の芦浜キャンプで出合った人達との間でかわされたホットなコミュニケーションは、みなそれぞれにたいへんな収穫を与えたのでした。
さて、初めて見る芦浜ですが、海側は両サイドが磯にはさまれた砂浜で、陸側は全部山におおわれていて山と海辺の間に池があるという風景です。
こう言ってしまうと、どうと言うこともないように聞えるでしようが、この風景を一度見てから、原発が建てられてしまった風景を想像することなど、とてもしたくないほどのすばらしい風景でした。
私達は、芦浜池と海岸の間の雑木林の中にテントをはりました。蚊がすごいのではないかと心配したのですが、それほどでもありませんでした。
それで、一段落したら早速に水着に着がえて海に向かったのですが、この日は台風の影響か、かなり波がはげしくて泳ぐというよりも波にもてあそばれるという感じでした。しかし、5~600mはあると思われる無人の海岸で、波とたわむれるというのも実に楽しいものでした。
海で泳いだ後は、シャワーなんかあびる必要はないのです。すぐそばにある芦浜池に移動して、そこで泳げばいいのです。
芦浜池は、山からの湧き水がたまった池みたいで、水もきれいで、すばらしい天然のプールです。クロールでも平泳ぎでも、たっぷり練習することができます。たー坊さんなんか、「どうもあの海で泳ぐのはたいへんだ」というわけで早ばやと池泳ぎにまわっていたようでした。
#334 《峠の茶屋》 BY レジスターN
柴原さんから色々と聞けたし、私も(主に養殖ハマチ騒動を巡って)考えを伝えたのだが、その中で「古和浦は日本の中の第3世界でしょう」という言葉は刺激的で、『養殖ハマチと原発』という問題はますます私にとって重いテーマになったのだった。(養殖ハマチ騒動について、具体的には『技術と人間』'90.4月号の柴原さんの記事を読んで下さい。ちなみにこの記事を発見してzippさんに教えた?のは私だったりする。おれんジネットに行けばその辺りの経過と『養殖ハマチと原発』という問題についての意見が多少書かれている)
もちろん話したことはそれだけではない。林業の話、教育の話、国労の話、パソコン通信の話…。そうそう。ハンドルというものを説明するのに『暗号名』というのは良かった。拷問されても名前を知られないために使うっていう冗談なのだが。暗号名:たー坊っていうのはちょっといいと思った。拷問はされたくないけどね。
どう言えばいいのだろうか。不思議なんだな。今でも。芦浜のことを知ったのはzippさんのメッセージがきっかけだった。教えてもらって本や資料を読んだりして。そこから、ああやってキャンプに参加して、柴原さんと話して、、、っていう間の距離が未だにピンときてないの。zippさん、柴原さん、社長さんらの尽力があったからこそのことなのだけれど。
今まで私のパソコン通信での活動は原発中心で、それもどちらかというと原発情報屋のようなカタチになってるんだけど。そこから踏み出すというかな。ひとつの大きなブレーク・スルーになったと思う。オンとオフのミックスチャーとかいうのも、本当に体感できたという感じ。これというのも、パソコン通信仲間という閉じた集まりではなかったのが良かったんだと思う。
アオサギさんと話が出来たのも今回の成果だし、レジNさんにれんこんも見せてもらったし、ΝαδαさんのXTRがネットワーカーの付録になるという情報も得たし(私は某8ビット機だから使えなくてくやしいんだけど…)、はたくんはカッコよかったし(オイオイ、ナニヲカイテルンダ)、大助くんの作業所を巡る話も興味深かった。さやえんどうの皆は疲れてて、夜にほとんど話が出来なかったのが残念だった。
本当に嬉しかったなー。パソコン通信を初めて、今回ほど嬉しいことはなかった。こんなに多くの人と出会えたということが本当に嬉しい。もっと自分も頑張ろう!と励まされた。原発を止めようという人がこんなカタチで様々な場から集まったというのは感動的だった。
#333 《峠の茶屋》 BY たー坊
キャンプをやっている最中に、大変なハプニングもありました。
この夜のハプニングは、すでに報告されていますが、とにかく、びしょ濡れのzippさんが「芦浜、3回目」と言いながら現れた時には、ほんとうにびっくりしました。アオサギさんのお父さんが危篤という知らせをPCVANで知って、伝えに来てくれたのでした。
#334 《峠の茶屋》 BY レジスターN
アオサギさんのお父さんは、結局亡くなられてしまいました。アオサギさんにとっては、大変なキャンプになってしまったことでしょう。
芦浜キャンプは、とにかくとてもおもしろかったのでした。
パソコン通信で知りあった仲間がこういう形で出合えることこと自体も楽しかったのですが、今回のキャンプではパソ通関係者以外の人達(柴原さん、社長、だいすけ君兄弟、せつ子さん一家、さやえんどうの人達)とも知りあえて、そういうみんなが一緒になって交流できたことが、とても楽しかったです。あそこで会った、みんなの顔はしっかりおぼえてしまいました。
そして三重県外から行った人間は、みんな口をそろえて「また、行きたい」と言っているのでありました。
芦浜キャンプ。またやろうよー。準備は全部zippさん任せて(笑い)。柴原さんの「もし原発建設が決まったら、皆で集まって抗議のキャンプを張りましょう」という言葉もあったけれど、事そこに至ったら私も参加したいけど、そうではなくて、やりたいよね。もちろん!
#333 《峠の茶屋》 BY たー坊
というわけで、zippさん、またこの次もよろしくね。
1990.10.7 レジスターN
ナスビ
え~みなさん、私はれんこんネットのナスビという者です。現在、北海道宗谷本線の電車の中にいます。何故かというとこれら幌延に行くとこなんです!わけあって私は東京から稚内の短大にきたんですが(注.私は男です)そもそもの原因は・・・、まぁこれは長くなるからおいときましょう、ね。
なんてこと書いてたら今、車内放送でそろそろ利尻富士が見えるっていうじゃないですか!カメラ、カメラ!!う~~~ん、いいですね、利尻富士(^_^)。私は写真に興味があるんでちゃんと写真に撮りましたよ。この写真はCGとしてアップされるのかな?(そんなわけないね^_^;)ちなみにこの文章、リアルタイムで書いてますけど私がブックパソコンなんて持ってるわけないので、これはメモ用紙にシャーペンで書いてます。うっ、悲しい。。。誰か私にダイナブックでもください(おいおい)。おっと車掌さんがオレンジカードを売りに来た。JRも必死ですね、ほんと。それはいいとして、なんで今回、私が幌延に行くことになったかって話してませんでしたね。これはうちの短大の助教授(だと思う)が『幌延遠足』を企画したからなんです。内容はというと「幌延には人と牛がいる。それを『見に行く』というのはその人達に対して失礼だが、見もしないでつべこべいうのはもっと失礼だ!」というのが事の始まりです。それはそうとして、今朝の3時までレポート書いてたので眠いったらありゃしない。それでは安牛(幌延のそばの駅です)まで眠ります。それではおやすみなさい。
ZZZ・・・・・・。
私:え!?な~~に??安牛に止まらないの、この電車??それじゃど~~すんの??
あっちの駅に待ってる人いるんでしょう?どうするの??
助教授:しょうがないからオノップナイ(漢字わかんない、ごめんなさい^_^;)まで行って引き返すしかないね。
車掌:それじゃ、安牛駅の前に民家がありますから、そこの人に頼んで待っている人に連絡してみましょう。
助教授:すみません、お願いします。
こうしていま停車駅で連絡してもらってるとこです。
先輩:あっ、あそこに××さん(安牛に待ってるハズの人ね)がいるよ!
助教授:あっ、ほんとだ。よかった、よかった。
先輩:それじゃあ、車掌さんにこのこと言わなきゃ。
いろいろありましたが、なんとかなりそうです。まったくこの遠足はなんか大変なことになりそうですね。いったいどうなることやら。ちょっとこの辺でこの遠足の日程を紹介しておきましょう。私達はJR稚内駅から安牛駅(幌延駅をすぎてちょっと行ったとこです)まで行って、そこから歩いてオノップナイ駅(ここもまた幌延駅のそばなのね)まで遠足するということになっています。ほんとは逆のオノップナイ駅から安牛駅まで行くハズだったんですけどね。
まあ電車の関係で安牛→オノップになってしまいました。今回私はほとんど写真を撮りに来たと行っても過言ではないのですが、まぁ一応、建前を言っておきますと、高レベル放射性廃棄物貯蔵庫の建設予定地を見に行くことです。これはいま私が稚内という所に住んでいるのが一番の理由ですね。なんていっても近いですから。それに私は短大を卒業したらもう東京に帰ってしまいますが、友人はこちらに残ってそれこそ「現地の人」になるんです。これはもう人事ではありません!!もっともそんなもん建てたらどんなに離れても「現地の人」ですけどね。それでもほとんどの人にとっては人事でしょう。こまったもんだ。(フランスを見ればわかると思いますけどね)
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いま安牛の駅に着きました。ほんっとに何にもないとこです。(安牛の人、ごめんなさい)さっそく私は駅周辺の写真を撮り始めました。う~~~ん。なんて自然の残っている所なんだ!!こんなとこ、東京には絶対ないですね。以前、高校のクラブで余部(御座敷列車が鉄橋から下のカニ工場に落ちたとこです)に行ったときもその自然に驚きましたが、ここの自然はそれとはまた異質のものですね。なんて言っても地平線まで続く原野!これですね。そもそも本州では水平線は見えても地平線はまず見えませんからね。ほとんんど気分は外国に来ているようです。途中あった川の名前なんかパンケオウカンラマップ川なんていいますしね。もともと私は風景写真を撮っている人だったので夢中になってシャッターを切りました(^_^)。
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そうして歩いているとやがて山一体が鉄線で囲っている所に来ました。助教授に言わせるとここが高レベル放射性廃棄物貯蔵庫の建設予定地なんだそうです。こころなしかそばの民家の人の様子が変だったような気がしたのは私の気のせいだったのでしょうか。(注.これ、なんの根拠もありません。私のかってな想像ですから、ハイ)辺りには延々と続く鉄線、それには立ち入り禁止のフダがかけてありました。私達はその場所のまん前で昼食をとり、そのあと一行はオノップナイ駅へと歩きました。それにしてもほんっとにいい所ですよ。ハッキリいってこの自然の素晴らしさは来ないとわかりません!(おいおい、説明になってないな~)私自信、写真を撮っててあまりの雄大な自然に力負けして途中からシャッターを切ることができなくなりましたから。こんなこと、写真を撮り始めて今だかつてありませんでした。もうただ眺めているだけで満足になってくるんです。
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こんなわけで、今回の『幌延遠足』は終りました。なんか一番重要なとこが少ないと自分でも思いますけど、これってしょうがないでしょう。撮った写真を見せられたら一番いいんでしょうけどね。おっと、実際に来てもらうのがもっといいですね。ちょっと紹介しておきますと関東の人だと、夏にはまず羽田空港から稚内まで直通の飛行機が毎日でてますのでそれに乗って、そこからバスでJR稚内駅まで。そのあとは電車の中から利尻富士でも見ながら幌延へ、なんてのが一番じゃないでしょうか。ただ飛行機が1日に一本でそれがお昼に着くのを考えると、幌延は2日目で帰るのは3日目の2泊3日のコースなんでどうでしょうか?私は来年の夏も絶対幌延に行きます。その時にはもっと多くの人といけたらうれしいな。それじゃ!
ナスビ
BRASS
<銀河連邦>大使SOUELは、新しい知的種族を<連邦>内に迎えるため高速巡洋艦2隻を伴って、担当する第3星系区内にある目的の辺境宙域へと向かっていた。
数カ月前、この宙域を漂っていた無人探査機が傍受した微弱電波の中に未知文明の存在を確認したのだ。
最初に捉えた2次元映像には、鍵十字の紋章をバックに激しいアクションを繰り返している僧侶? を中心に何かの儀式をしているようなシーンが展開されていた。その厳格に統一されショーアップされた光景は異文明とは言いながらすばらしく魅惑的であった。
<辺境開発局>と<外務局>が中心となる研究チームにおける審査の結果、かなり高度な文明と知性をもち、異文明との接触にも耐えうるだろうということになったのだ。
艦長は勤務中の真中の頭(<連邦艦隊>の艦長はなぜか3つ頭のRRR星人が多かった、1人で3交替勤務ができるからという話もあるがただの偶然だろう)をSOUELに向けて言った。
「大使、間もなく目的宙域に到着します」
「ん、さてどうやって接触するか」資料映像を見ながらSOUELが言った「ふーん、2足歩行とは珍しい」SLIM星人であるSOUELは完全な軟体であり、いかなる形態をもとり得る。最初の接触のときは対象である異種族の形態にあわせることを常套手段としていた。
「随分寂しいところに来ちまったなあ」off中の右の頭(左の頭は睡眠中である)が言った。勤務外では口が悪い。
「人工的に精製されたと思われる多量の核物質の存在がみとめられます」と科学仕官が言った。
「というと、彼らはすでに宇宙へ進出しているというのか」大使は少し驚いた様子で聞き返した。「そんな報告はなかったが」
普通、進化の過程で<核エネルギー>を実現した種族は、同時に宇宙へ進出するための高度なテクノロジーも実現していた。
一般に文明(テクノロジー)の発達はある段階において<核エネルギー>の利用を不可欠なものとする場合が多い。しかし、それは否応無く放射能汚染という生物種そのものに対する危険を伴うことになる。結果、これを利用するのは必然的に宇宙空間でということになる。地上の生活圏を汚染するわけにはいかないからだ。
もちろん何にでも例外はあるものだが。
「はっきりしませんが反応は地上からのようです」<科学仕官>は船体コンピュータに直接接続していた40本の触覚を微妙に震わせていた。
「まさか! 」<艦長>は暇を持て余していた右の頭をこちらに向けてカン高い声を上げた。「あんたの触覚もそろそろ酸化し始めてるんじゃないのか」
SOUELは嫌な予感がした。もっとくわしい事前調査の必要性を感じ、艦長に艦体を隠して近付くように命じた。
「一部は活動エネルギーとして発電に使われているよう・・・」
「なんだって! 地上でか? 」<艦長>が話を遮った。「事故が起きたらどうするんだ」
「ここの種族はPRTIT星人のように放射線に耐性があるのかね」苦々しげにSOUELは聞いた。PRTIT星人は<連邦>に敵対する種族の中では最大勢力を誇り、約20億年にわたり紛争が続いていた。戦闘において彼らはその特異な種族特性を活かし、強力な放射線のシャワーを浴びせた後に防護服なしで堂々と乗り込んでくるという戦法を多用していた。国境沿いにあったSOUELの故郷も今では<高放射能惑星>に成り果てている。
「いえ、足が2本しかないことを除けばDy星人とそっくりですから」
SOUELは予感が的中したことを感じた。高度な知性だって?相変わらず<調査局>の報告はあてにならんな。だが・・・もしかすると我々の知らない特異なテクノロジーでも持っているのだろうか?
「一部と言ったな。あとはどうなんだ」
「大部分は明らかに攻撃用兵器に搭載されているようです」
「攻撃核兵器? 」と<火器管制仕官>が身を乗り出してきた。
「この近くに我々の知らない侵略生物でもいるのか」
一瞬管制室に緊張が走った。このような辺境では<連邦>の<監視機構>もあまり十分な役割を果たしていない(あまりにも広すぎるのだ)ために、どのような知的生命がいるとも限らないのだ。実際、TOTRU宙人(母星を持たないまっとうな? 知的宇宙生命を<宙人>と呼ぶ)が外銀河から侵攻してきたときも、約5000万年ほど<連邦中央局>はその事実を知らなかった。
「それが全て地上に、特に『都市』と呼ばれる人口密集地域に落ちるようにプログラムされているようです」
「!? 」
そのとき警告ブザーが鳴った。『爆発的ナ核分裂反応ヲ確認』
観測用の有機コンピュータが急に活発な活動をはじめた。次々と表れる報告にたいし、科学仕官は顔色を変えて端末に接続してあった触覚を引き離した。
「核爆発です! 」
スクリーンには惑星規模の放射能状況が表示されていたが、限定された地域ではあるが数値は急激に上昇している。
「これを聞いてください」<通信仕官>がキーをいくつか叩いた「この星の広域通信です」 ・・・##発共同(10/26)さきほど中国###で今年に入って##7
回目の<地下核実験>が・・・
「かっ核実験!? 」
「正気の沙汰じゃない」誰かがつぶやいた。
SOUELはしばらく考え深げにスクリーンを見つめていたが、やがて大きくため息をつくと、艦長に対し母星への帰還を命じた。
* * * * *
帰還軌道の中程まできたとき艦長(の真中の頭)が言った「大使、接触もせずに帰ってもいいのですか? 」
「かまわないさ」大使はこの問題はもう済んだという軽い調子で言った。「自殺志願者を説得する権限は与えられていないからな」
by BRASS
by Ναδα
ニカラグアって、知ってる?
中央アメリカ--アメリカ大陸のくびれたところ、メキシコから南にグアテマラ、エルサルバドル、ホンデュラスと行ってその次がニカラグア。さらに南に行くとコスタリカ、そしてパナマ(米国はノリエガという禍を利用してこの国を侵略しているのです)。とにかく中央アメリカのまん中にあるのがニカラグア。(熱帯のとっても綺麗なところです。ニカラグアの素朴画って知っているひとならわかるでしょう)
1979年、独裁者ソモサ一族の支配を終らせるサンディニスタ革命(「サンディニスタ」というのは、1930年頃米国海兵隊の侵略に抗して農民を組織し闘ったニカラグアの国民的英雄、サンディーノ将軍からきてます)が成って平和が訪れたかに見えたのに、それから、米国にレーガン政権ができて“コントラ”という反革命軍が作られてめちゃくちゃ攻撃してきて、それから米国はこの国を兵糧攻めにしようと経済封鎖(革命前のソモサ独裁時代は、米国一辺倒の経済だったのにそれをストップされたのです)。
ニカラグア国民を苦しめる米国の政策が功を奏して今年の2月の選挙でサンディニスタ政府が敗北し、親米派のUNO(国民野党連合)のビオレタ・チャモロ政権になったのを「東欧の社会主義の終焉が中米にも波及した」かのようにも言う人もいるけど違うと思う。自由に公正な選挙を行って政権交替を可能にする民主主義はサンディニスタ革命によってニカラグア国民が獲得したものだ。内戦を終らせることができず、経済を建て直すことができないサンディニスタ(米国がずっと妨害するつもりだから)がそれでも国民の40%の得票を得ているということに注目してほしい。
私は、昨年の1月にニカラグアを訪ねたが、印象的なのは、ニカラグアのちまたの人たちがみんな、自分の意見をよく言う(サンディニスタを支持するものも反対するものも)ということだ。みんなが政治に関心をもっていて自由にものが言えるというのは、民主主義の基本だ。だから私はニカラグアが好きだ。
(東西対立が終っても南北問題は残ったまま。コロンブスの昔から南の国から富を奪い続けたものが、今も、南の国が本当に豊かになることを妨害し、略奪をつづけている。)
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
カルロス・メヒア・ゴドイというニカラグアの音楽家が来日する。彼は、弟のルイス・エンリケ・メヒア・ゴドイとともに世界的に有名なニカラグアの人気ミュージシャンである。私が彼らのレコードを最初に見つけたのは都内のあるラテン音楽専門レコード店だった(高田の馬場のテリーレコード 03-368-4481)。「武装したギター(Guitarra Armada)」、最初、ふざけたタイトルだと思った。買って聴いてみると、陽気なラテン的フォークソング。歌の内容は、武器の扱いを説明していたり、なにやら、アブナイ。でも、楽しいとてもイイのだ。あとで、これらの歌がサンディニスタ革命の武装闘争の中で歌われていたものであるということを知った。メヒア・ゴドイ兄弟は、革命前は何度も投獄され亡命を強いられながら歌をもって独裁政権と闘い、革命後は、国会議員をしたりしながらニカラグアとヨーロッパで音楽活動を続けている。(ニカラグアに行ったとき彼らのレコードやカセットをどっさり買ってきて荷物が大変になった。弟の方のルイス・エンリケにはレコード屋でたまたま逢ってしまった)
また、コンサートとあわせて、ニカラグアの教会で解放の神学を説いているモリナ神父のストリートチルドレンの現状を訴える講演がある。
中南米音楽ファンはもちろん、中南米のこと、南北問題、第三世界への援助のありかたに関心のあるひと、みんな来てほしいコンサートです。
《ニカラグアの風》
カルロス・メヒア・ゴドイ
チャリティーコンサート
●ストリートチルドレンの現状を訴えるモリナ神父の講演
●友情出演・新谷のり子
●日時:11月16日(金)・18:30~
●場所:日本基督教団東京山手協会(Tel:03-463-2971 渋谷駅・徒歩5分)
●参加費:2300円 (前売:2000円)
※収益はニカラグアのストリートチルドレンの施設作りにあてられます。
■主催:カルロス・メヒア・ゴドイ東京コンサート実行委員会
■問い合わせ:TEL 03-XXX-XXXX 「ともす会」内
TEL 045-XXX-XXXX 木下(夜間)
当ページは1990年発行の「季刊 放射性れんこん」に掲載された内容を紹介するものです。当時の「ともす会」はすでに解散し、現在の問い合せ先は存在しません。現在の問い合わせ先について当ページの管理者へお尋ねいただいても、ご回答できることはございません。ご了承ください。