転送歓迎とのこと ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━連続企画━━ > 子どもたちの未来と自然エネルギーを考える八王子市民講座 > ---------------------------------------------- > 《第1回》 > 放射能から子どもたちを守るために > ――原発事故以降の私たちの生活・健康を考える > > > 放射線の恐ろしさを学び、子どもたちを放射線から守ってい > くためにどうしたらよいか、崎山比早子さん(元放射線医学総 > 合研究所主任研究官、医学博士、現高木学校)からお話をいた > だきます。個人としてばかりではなく、八王子市として何がで > きるかも考えたいと思いますので、ふるってご参加ください。 > ______ > * ご案内 * \___________________ > > ◆日時 > 2011年5月5日(木・祝)14時~16時半(開場13時半) > > ◆講師 > お話:崎山比早子 先生 > (元放射線医学総合研究所主任研究官、医学博士、現高木学校) > コメント:山田 真 先生 > (小児科医・八王子中央診療所) > > ◆会場 > 八王子労政会館・ホール > (住所:八王子市明神町3-5-1 電話:042-645-7451) > JR中央線「八王子駅」北口下車 徒歩10分 > 京王線「京王八王子駅」下車 徒歩5分 > 地図 > http://www.hataraku.metro.tokyo.jp/sosiki/roseikaikan/hachioji.html > > ◆資料代:500円 > ◆託児保育:あり(要予約) > > ◎主催・お問い合わせ > 子どもたちの未来と自然エネルギーを考える八王子市民講座 > 電話:080-3386-5962 > FAX:020-4624-2381 > メール:hachikou802@yahoo.co.jp > WEBサイト:http://hachikou802.web.fc2.com/ > > ┏━━━▽ 崎山先生への質問を募集します! ▽━━━┓ > > ・TVは「ただちに健康に影響はない」「安全」って言うけどホント? > ・妊婦や子どものことが心配です。 > ・内部被ばくによる発ガンリスクはどの程度ですか? > > …などなど、放射能に関する皆さんの素朴な疑問・心配ゴトを、 > FAX又はメールでお寄せください。当日の質疑応答のなかで > 崎山先生にお答えいただく予定です。 > ┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ > > ===================================================== > ◇ 八王子市民講座ってなあに? > ===================================================== > 東京電力の福島第一原子力発電所から、いつ果てるともし > れない放射性物質の放出が続いています。水や野菜、魚から > も放射性物質が検出され、子どもにミルクを作ってよいのか、 > 食べてよいのか、不安になります。政府は、健康に影響はな > いと言いますが、他の情報源からは影響があるという話も聞 > こえてきて、何が本当か判らなくなります。 > > 時々余震と思われる地震がありますが、福島にまた大きな > 地震が襲ったら恐ろしいことになりそうです。福島以外の原 > 発が地震や津波に耐えられるかも気がかりです。何よりも福 > 島原発で働いている人びとの健康が心配です。電気を使うた > めには、このまま原発に頼らざるを得ないのでしょうか。 > > 今回の事故で私たちはさまざまな不安や疑問を抱きました。 > そこで、ともすれば専門用語が多くてわかり難い内容を平易 > に説明していただき、みんなで一緒にどうしたらよいか考え > ていくための連続市民講座を企画しました。 > > ◆◇本講座へのご意見やご感想はこちら↓ > 連続講座で今後取り上げてほしいテーマも募集中です。◇◆ > hachikou802@yahoo.co.jp
ガイガーカウンター、ようやくできました。 最初発振しなかったり、動いたと思ったらノイズが出たりとかしましたが、怪しい部分の配線をしなおしたら直りました。 秋月の回路まんまですが、電源電圧9V、5Vどちらでも動作しました。 これで放射線を検知できるようになったので、次はこれを計測する側を作る予定です。 完成したら詩林堂で計測するようにすればよいのかな。 ちなみにこんな感じです。 http://yfrog.com/h2dyozxj
zippさん、ご不幸に見舞われたのですね。お母さんはご病気だったのでしょうか。 うちも5年前に突然亡くなって、当然いろいろ追われました。兄貴は海外在住なんでひとりで全部やらざるをえなかった。 フクシマの件、浜岡の件、大きな声にしていきたいですね。 あ、あと芦浜、この夏には行きたいなー。
わたしの知るれんこんの被災地住人の加賀クン・家族は生き延びているようで安心しました。 わたしの近くの芦浜そして海山の原発運動が終わり、各地が支援に来てくれた方には申し訳ないけど、三重の運動を保持できず雲散霧消になっちゃってます。 今回のフクシマの件には深くコミットしようとしたヤサキ、オフクロが突然亡くなちゃた。 それで今もその件に関して追われてます。 この震災で無くなれた家族より、わたしは十二分に供養できるのだけど…。 HUKUSIMAに関しては、声をあげましょう。 この国は、どうしようもなさすぎる!!この間の管の民主党政権じゃなく!これまで国策でやってきた自民党政権、それに戦術として維持していた共産党もね。 原発もTTPだったか、(trp)だったかも含めて跳ね返そう!
レジさんの書き込みを見てちょっと思ったのだが、地殻、プレートの変動を察知する人っていうのは結構いると思います。 で、それらしいブログもいくつか散見されるのですが・・・ 注目されるのは、3/11とかその後の大きめの余震の前にそれらしいことを書いた人々ですが、ピンポイントで震度まで予測しようとしていて、最近は「外し」気味が多いようです。 すぐにインチキ扱いされがちなんで焦って、悪循環になるようですね。 でも、いまのところ何の役にもたってない地震予知の学会以下ということはないと思います。
ご無沙汰してます。概ねご無事だったようでなによりです。 わずかな映像からも、津波被害の回復はかなり難しいのではないかと考えていましたが、やっぱりそうなんですね。 でも深刻な被災地のとなりが、比較的平常という、まだら状被害の実情については、あまりこちらでは知られていないと思いますし、原発の周囲にしても線量がたいしたことがないのに、追い出される不条理を強制されている人々は多そうですね。 河北新報の報道、こちらではあまり注目する機会がありませんが、取材の成果などあったら教えてくださいね。 御身体に気を付けて・・・
ちょっと長いのを書いたらどこにも投稿するところがない。 今時、長く書いたらいけないのであろうが、せっかく書いたからここに投稿しておこう。 ---------------- スリーマイルが起こった2、3年後くらいだったかな、 http://www.tmia.com/old-website/photos/index.html こんな様な写真とかが 報告されて「科学者達は影響ないと言っているけど、影響は出ている」という 話を聞いたりした。当時、私はすでに原発に反対していたけど、まだ少し科学 信仰的なところがあって、シーベルトとかベクレル(当時はレム、キュリーと いう単位を使っていたが)とかの数値と関連づけて結果が評価されてない「何 か異常が起こっている」というような、感覚的なところから結論を導いている 様に思われることに関してはかなり懐疑的なところがあった。写真などを見せ られても、それが果たしてどう客観的に事故で放出された放射能とつながって いるのか、そこを示すことができてないような気がしていた。一枚の写真から 何かを結論しようとするのは方法論的に誤っていると、今でもそう思う。しか し、その背後にある声、その写真をもってして訴えようとしているのは何なの か、その訴えようとしている人達は何を感じてそうしようとしているのか、 Radiophobia(放射能恐怖症)という言葉で片付けられるものなのかどうか。 「科学的」な「定量的評価」に対する万能主義が大きな誤りであるということ に気がつくのに私は数年を要した。「科学的」な「定量的評価」が自然に対し てできるのは、自然のほんのごくごく一部に対してであって、それも人間が人 間の都合で選んだ偏向した分野に対してのみであり、人間が知らない部分の方 が圧倒的に多い。まずはそのことを認識して、「科学」などというものの「小 ささ」を認識することが問われていたのだと思う。 「自然」と深く関わりあって生きている人たちが、自分たちの身の回りの「自 然」に何か異常があった時に、それを察知する能力はとてつもなく大きい。そ れはガイガーカウンターとかなんかよりはるかに優れている。でもそれは「科 学」という言葉で証明されない、だから無視される。でもその後の疫学調査な どで、歴史はだんだんそういう人達の察していたことの正しさを証明しつつあ るのではないだろうか。いや、まだ意見は分かれているかもしれない。しかし、 それが安易に無視していいものではないことは認められていいのではないだろ うか。 アイヌの人達とか、ネイティブアメリカンの人達とか、そういう人達が伝統的 に持ってきたレベルでの「自然」との深い共生は、今の時代のほとんどの人達 は持っていない。それでも、農業や漁業に従事している人達は、それなりのセ ンサーを持っているに違いない。おそらく、福島の今後に対しても、そういう センサーを持つ人達はいち早く何かを察するだろう。 その後におこることは、容易に想像がつく。そういうセンサーをもった人達の 声を「官製科学」が暴力的に押しつぶしていくことだ。
加賀さん、どうも報告ありがとうございます。 かなり様子がわかりました。 地方に行けば行くほどそうですが、ガソリンがかなり生活にとって必需品になっているのですね。 不思議なことに、電気切れに対する社会の弱さはいろいろ言われるのに、ガソリン切れに対する それはあまり言われませんね。 そもそも、最初に原発が推進され始めた時の理由は「石油は近いうちに枯渇する」だったはずで すが、車社会を見直す動きは一切ありませんでしたね。 最近は「石油枯渇」の代わりに「二酸化炭素」を使っていたようで、何もかも電気にして、その電 気を原発にすれば「二酸化炭素」問題は解決できるというような話は、見え透いた虚構でした。 その虚構を崩すのに、高い授業料を払ったわけですが、ひょっとしたらまだ授業料が足りなかっ たりするのかもしれません。
メールや電話、人づてにご心配をいただいた皆様へ ※4月上旬現在の内容です。半月たっても大きくは変わっていません。 震災発生以来、メールをいただいた皆様へ十分な返事をしていませんでした。私自身の生活は平時に戻りつつありますので、これまでの経過を若干ご報告させていただきます。部分的には報告した部分もありますが、皆様へ同じメールを送りますので、ご容赦ください。 【公私の状況について】 当家は小生が山形で単身赴任、妻と長男(9歳、新小4)、長女(5歳、新年長)が仙台のマンション暮らしです。発生時は小生は山形で仕事中、妻は自宅、長男は学校、長女は幼稚園が卒園式の準備で短縮授業で帰宅済みでした(いつもの時程だと4キロほど離れた幼稚園に迎えに行かなくてはならず、車もバスも動かない状況で大変だったことでしょう)。自宅は仙台市南部の長町というところで、津波で多数の死者を出した若林区荒浜からは7~8キロほどしか離れていないのですが、停電と断水を除き、建物の深刻な被害はありませんでした。ただ、電気がないとエレベーターも動かず、水が出なければトイレも使えないので、家族は山形に疎開させました。うちで停電が復旧したのは15日で、通水も平地は早かったため、まもなく復旧したようですが、電気温水器が壊れた(4月1日復旧)ので、家族は丸2週間山形のワンルームマンションで暮らしていました。後述しますが山形県内は停電も翌日には復旧し、発生直後はガソリンの供給もできたため、ガソリンや食糧など会社の物資調達拠点になりました。いちばん大変だったのはガソリンで、発生から1週間程は5リットル限定とか10リットル限定で、5時起きで半日がかりというありさまで、雪の中を行列した次第です。車で並ぶのですが、ガソリンがもったいなくて、セーターにスキーウエアを着込んでスキー用の手袋をしても寒かったです。あれから半月しかたっていないのに、もう春の陽気です。このころは、家族も仕事場に居候させ、炊き出し要員として働いてもらいました。妻はおにぎり作りやから揚げ製造、子供はゆで卵の計数と箱詰め、といった具合です。発生から1週間ほど、仙台市内はコンビニもスーパーも一部を除いて閉店、飲食店もガスが使えず休業、自宅はガスや水道が出ない社員が多かったので、山形から毎日営業車を出し、食糧補給をしました。それでも、500人近いほぼ泊り込みの社員に1食おにぎり1個を出すのが精一杯だったということで、事実上の避難所状態でした。まあ、沿岸部の避難所に比べればはるかに恵まれていたと思いますが、会社のトイレも水が出ず、数日間は浄化槽直結のトイレに限り、バケツで水を流しながらの用足しだったようです。さて自宅の状況に戻りますが、自宅のある仙台市南部の平野部は軟弱地盤地域ですが、今回の地震では地盤が安定しているはずの仙台市北部で建築物の被害が深刻です。地下鉄は北部の泉中央という地区で未だに不通です。地震は建物や地盤の性質によって、被害を大きくしやすい周期が決まっているそうですが、どうしてこのようになったのか、ちょっと不思議です。それはそれとして、子供の小学校は3月29日に修了式があり、4月11日に新学期が始まります。幼稚園は高台の住宅地にあって最近まで断水していたため、もう少し遅れますが、自宅の片付けも終わり、ライフラインも元通りになったので、一応ご報告といたします。 【仙台の状況について】 きょうは、かつて勤務していた登米に行き、お世話になった人に灯油を差し入れしてきました。高速道路から見る仙台市若林区と宮城野区の海岸地帯は、乾き始めた泥が舞って砂漠のようでした。仙塩地区を結ぶ国道45沿いは建物に泥水の痕跡がくっきりと残っていて、仙石線の線路が陥没していました。でも、それぞれに復旧作業が行われ、ガソリンスタンドの営業が再開され、行列も比較的短くなっています。ある程度、事態が落ち着いてみて、はっきりいえることは、津波に遭った人は状況が改善しないか遅遅としていて、遭わない人はほぼ日常に戻ったということです。ふつうの地震災害では震度に応じて同心円状に被害程度が変わっていくため、地域の中では境遇が似通うものですが、今回は違います。登米は、南三陸町の隣町ですが、古い住宅や塀が壊れている以外は、至って普通の暮らしに戻っているそうです。津波が来たところの変わりぶりと、来なかったところの復旧ぶりが、線を引いたようになっているのが、残酷だなあと思いました。わたしは被災地の深刻な実情は分かりませんが、映像を見ている限り、よく知っている場所がめちゃくちゃです。菅首相が高田松原を「岩手県民が海水浴に来る場所」と言っていましたが、違うのです。三陸に住む人の誇りであり心のよりどころなんです。ただ遊びに行く場所という感覚でしか語れない想像力の貧しさに唖然とします。気仙沼は遠洋漁業が下火になって経済的には冷え込んでいましたが、穏やかで文化的な土地です。岸壁の前が商店街で、満潮時は海面から50センチの場所に人々の暮らしがあるような、風情ある町並みが消えてしまいました。寂しいなあ。菅首相ではないけれど、子供を遊ばせた砂浜も、去年も何度も行った海辺のプールやサイクリングロードも、タラ3匹500円というような日曜朝6時の朝市も、ぜんぶ津波に飲まれてしまいました。だけど、仙台の暮らしは少しずつ日常に戻ってきています。あとは、経済活動を立て直しながら、東北の中でも、被災地を応援しなくてはいけません。頑張っていきましょう。 長くなりました。携帯系アドレスの人、制限を越えていたら、ごめんなさい。取り急ぎ御礼まで。失礼します。
TACさん、おひさしぶりです。 松山で会って以来ですね。 岡山とか、松山とか、瀬戸内海の都市は、自然の大災害からは他の地域よりは安全で いられるところですが、原発の人災からどうしようもないですね。 上関なんか作られたら、いよいよ瀬戸内海もおしまいですね。