ワールドカップは、たとえばペレが活躍してたころのブラジル(に限らず)においては、明らかに独裁的政権に対する民衆の反発を、革命的なエネルギーの解放という形で爆発させるのを防ぐために機能していたと思います。 いまは、そういうハードな独裁政権ってのがなくなって、ソフトなグローバリズムとか新自由主義の支配体制になったけれども、そしてそれに対する反抗の動きは南北随所で起こって来ているけれども、少なくとも革命や暴動よりもサッカーに熱狂する人々が多いという意味では、ワールドカップというものが持っている反動的な政治的ベクトルというものには変わりがないとは言えるでしょう。 おおまかに言うと、現在ワールドカップに原則的な批判的立場をとる党派やごく少数の市民運動はそういうことを批判の根幹に据えているといえます。 ただ、それはあまりにも原則的といえる立場ではあっても、「サッカーなんぞに熱中するのはやめて革命やりなさい」というわけにもいかない以上、むしろサッカー(とその頂点たるワールドカップ)それ自体は所与のものとして、つまりサッカー競技を楽しみながら批判的な提案を考えていくほうがいいのかと思っています。 ある意味、今回の大会は象徴的で、ヨーロッパにおける「ナショナル」なチームの枠組みの崩壊を示しています。トルシエの通訳ダバディは、「現在の形でのワールドカップはあと10年ぐらいで終焉するだろう」と言っていますが、いままで国境を鮮やかに浮き上がらせていたサッカーが、逆に国境の崩壊の象徴になるような誘導もできなくはないと思います。 (予選における国家=FIFA加盟単位でのエントリーを見直して、たとえば小国連合のチームを作って既存の有力国チームに対抗するとか。) ちょっとそんなことを考えた大会でした。それなりに面白かった。ゲームそのものもね。
>さんごさん >この私のような人を一般的、だとするのはおこがましいんだけれど、放射能の >ホの字もしらないような子たちが大勢いるっていうのは、逆にみわちゃんの >プランにとってはもってこいなんじゃないでしょうか。 そうなんですよねぇ。最初に例に出した 「臨界事故の時、大阪まで逃げてったライター(そっちには若狭の原発銀座があるんだけど)」じゃありませんが、 ・放射能・危険な化学物質・ネットワークセキュリティなどに対する意識はある。 ・「それが何を意味するのか」「どう対処すべきなのか」という知識はない。 ・従って、ヤミクモに怯える、または根拠なく安心する。 といった人が、世の中には結構多いと感じるんです。で、意識がせっかくあるんだったら、ちゃんとデータ取ってそれベースに行動する、というセンに乗っていただくのは、そんなに大変じゃないのではないかな? と。 ただ、放射線センサーの出番がそうそうたくさんあっては困りますし、やっぱり身近な問題としては(特に女性にとっては)紫外線の方が大きいでしょうから、「かわいい放射線・紫外線センサー」というのがとりあえず目指すセンかな、と考えています。 で、「ネットに接続して各地のリアルタイムの状況を見られる」となると、メールとWebサイト見物とチャット以外のインターネットの可能性にも気づいてもらえるだろうし。 >誰も目をつけていなかったところ、でも痒いところに手が届く、というのが >ヒット商品の秘密といいますからね。(別にヒットを狙っているのではない?) 商業的にヒットしたら、もちろん嬉しいっすよ(笑)
>「日本」という共通の属性を持つというだけで何かに無条件に肩入れしたくなる >というような感情は決して本能的なものではなく政治的な刷り込みの結果でしょう。 >スポーツはたぶんにその刷り込みのための道具にされていると私は感じます。 うーん。そのような危惧は一般的にいわれていますよね。 日の丸ペインティングや、「ニッポン!」大合唱。確かに眉をひそめる向きがあって しかるべきかも。私は絶対やりたくないし。 ただサッカーの応援という文脈で使われる分にはいいんじゃないかなって思います。 個人的には嫌いなんですがね。「ニッポン」コールとか何より サッカーのリズムとあわないので試合が見づらいもの。 でもきっと未来には、サッカーの応援以外の文脈では国境ネタなんて出てこない 社会になるんじゃないかなと。希望的観測ですが。 サッカースタジアムのナショナリズムはウソウソ感満載ですから。 ゴールのカタルシスのはけ口をつくるために使われるだけのものっていう 気がしてしょうがないんです。要は別に日本とかじゃなくてもいいんですね。 たまたまある枠組みを使っているだけなんじゃないでしょうか? そういえば、たまたまどこかの国に生まれただけで、 国なんて便宜上のものだよね・・・・って その「たまたま」感を実感できるんですよね、プレイの間。ちゃんとプレイを 観ていれば、ですけれどね。 スタジアムのあれはなんというか、テレビに映る棺桶を国旗でくるんだりするような、 デモンストレイティブな行為ではないと思う。そこが誤解されがちなのが いつも歯がゆく思います。 まあメディアを通されたらしょうがないですよね、外から見たら同じに 見えますからね。 私なんて、当日まで試合見る気もなかったけど見たらやっぱり肩入れ しちゃった、っていうので驚いたクチですが、 うーん刷り込みされているのかしら・・・ ま、ヨーロッパのサッカースタジアムには本物のネオナチがいたりするし 確かにキケンなことなのかもしれません。 自分の感情にあまり厳密でいるのが難しい我々には、本末転倒というのが 起こり得るわけなので気をつけたほうがいいかも。 >サッカーファンの気持も理解するように努めようと思っているのですが 努めていただくほどのものでは。でももし興味があれば、サッカーの 快感を発見するほうが先ですね。 ファンの気持ちだけわかろうとするとやっぱりスタジアムは国旗だらけなので きっと今おっしゃる以上のことはわかんないと思いますよ~(^^)
>「日本」という共通の属性を持つというだけで何かに無条件に肩入れしたくなる >というような感情は決して本能的なものではなく政治的な刷り込みの結果でしょう。 >スポーツはたぶんにその刷り込みのための道具にされていると私は感じます。 そのような危惧は一般的にいわれていますよね。確かに、傍若無人な「ニッポン!」 コールなど,眉をひそめる向きがあってしまるべきだと思います。 私も個人的には居心地悪かったりしますが(日本の応援の仕方だとサッカーの リズムが見えなくなるので嫌い)、ナショナリズム云々の批判に関してだけ言うと 私はサッカーの応援という文脈で使われる分にはいいんじゃないかなって思います。 きっと未来には、サッカーの応援以外の文脈では国境ネタなんて出てこない 社会になるんじゃないかな、と。これは希望的観測ですが。 サッカースタジアムのうそうそナショナリズムは、ゴールのカタルシスの はけ口をつくるために使われるだけのものっていう気がしてしょうがない んです。要は別に日本じゃなくてもいいんですね。 たまたまある枠組みを使っているだけなんじゃないでしょうか? たまたまどこかの国に生まれただけで、国なんて便宜上のものだし・・・・ その「たまたま」感を実感できるんですよね、プレイの間。 なんというかあれは、テレビに映る棺桶を国旗でくるんだりするような、 デモンストレイティブな行為ではないと思う。そこが誤解されがちなのが いつも歯がゆく思います。 まあメディアを通されたらしょうがないですよね、外から見たら同じに 見えますからね。 私なんて、当日まで試合見る気もなかったけど見たらやっぱり肩入れ しちゃった、っていうので驚いたクチですが、 うーん刷り込みされているのかしら・・・ ま、ヨーロッパのサッカースタジアムには本物のネオナチがいたりするし 確かにキケンなことなのかもしれません。 自分の感情にあまり厳密でいるのが難しい我々には、本末転倒というのが 起こり得るわけなので気をつけたほうがいいかも。 >サッカーファンの気持も理解するように努めようと思っているのですが 努めていただくほどのものでは。でももし興味があれば、サッカーの 面白さをわかろうとなさるほうが先ですね。 ファンの気持ちだけわかろうとするとやっぱりスタジアムは国旗だらけなので きっと今おっしゃる以上のことはわかんないと思いますよ~(^^)
>「日本」という共通の属性を持つというだけで何かに無条件に肩入れしたくなる >というような感情は決して本能的なものではなく政治的な刷り込みの結果でしょう。 >スポーツはたぶんにその刷り込みのための道具にされていると私は感じます。 そのような危惧は一般的にいわれていますよね。日の丸ペインティングばかりか 「大和魂」なんて書いちゃったりもするし、眉をひそめる向きがあってしかるべき という気もしますね。 まあ私はサッカーの応援という文脈で使われる分にはいいんじゃないかな って思います。(個人的には「ニッポン!」コールとかなんかかっこわるくて 大嫌いなのだけれど。傍若無人だし) きっと未来には、サッカーの応援以外の文脈では国境ネタなんて出てこない 社会になるんじゃないかな、と。これは希望的観測ですが。 サッカースタジアムのうそうそナショナリズムは、ゴールのカタルシスの はけ口をつくるために使われるだけのものっていう気がしてしょうがない んです。要は別に日本じゃなくてもいいんですね。 たまたまある枠組みを使っているだけなんじゃないでしょうか? たまたまどこかの国に生まれただけで、国なんて便宜上のものだし・・・・ なんというかあれは、テレビに映る棺桶を国旗でくるんだりするような、 デモンストレイティブな行為ではないと思う。そこが誤解されがちなのが いつも歯がゆく思います。 まあメディアを通されたらしょうがないですよね、外から見たら同じに 見えますからね。 私なんて、当日まで試合見る気もなかったけど見たらやっぱり肩入れ しちゃった、っていうので驚いたクチですが、 うーん刷り込みされているのかしら・・・ ま、ヨーロッパのサッカースタジアムには本物のネオナチがいたりするし 確かにキケンなことなのかもしれません。 自分の感情にあまり厳密でいるのが難しい我々には、本末転倒というのが 起こり得るわけなので気をつけたほうがいいかも。 ミーハ-日本ですしね・・・。 例えばフランスでは、代表選手はみんな移民だしサッカーファンっていうと 知的階級ではないと思われるからいえない、っていう雰囲気は本当にビシバシ 感じましたが、そういうガチガチな部分を、日本辺りのミーハーな価値観(?)が なし崩しに壊していったりするのは今にはじまったことじゃないですね。 良くも悪くも。 >サッカーファンの気持も理解するように努めようと思っているのですが 努めていただくほどのものでは・・・(赤)たかだか球蹴りですので・・・。 まあもし興味があれば、サッカーの面白さをわかろうとしてください。 ファンの気持ちだけわかろうとするとやっぱりスタジアムは国旗だらけなので きっと今おっしゃる以上のことはわかんないと思いますよ~(^^)
>「日本」という共通の属性を持つというだけで何かに無条件に肩入れしたくなる >というような感情は決して本能的なものではなく政治的な刷り込みの結果でしょう。 >スポーツはたぶんにその刷り込みのための道具にされていると私は感じます。 そのような危惧は一般的にいわれていますよね。 ただ、サッカースタジアムのうそうそナショナリズムは、ゴールのカタルシスの はけ口をつくるために使われるだけのものっていう気がしてしょうがないんです。 つまり別に日本じゃなくてもいいんですね。たまたまある枠組みを使っている だけなんじゃないでしょうか?私なんて、当日まで試合見る気もなかったけど 見たらやっぱり肩入れしちゃった、っていうので驚いたクチですが、 うー刷り込みされているのか・・・ ま、ヨーロッパのサッカースタジアムには本物のナオナチがいたりするし 確かにキケンなことなのかもしれないけど・・・ 自分の感情にあまり厳密でいるのが難しい我々には、本末転倒というのが 起こり得るわけなので気をつけねばとは思いますが。 >サッカーファンの気持も理解するように努めようと思っているのですが いえいえ、まあもし興味があれば、サッカーの面白さをわかろうとしてください。 (興味なければ、お気になさらなくていいと思いますよ、たかだか球蹴り ですから~) ファンの気持ちだけわかろうとするとやっぱりスタジアムは国旗だらけなので きっとわかんないと思いますよ~(^^)
みわちゃん、 >アラーム用プロトコルだったら、SNMPを流用できないかな? >もともとは、セキュリティ監視のためのプロトコルだけど。 SNMPを使うというのは一つの手ですね。すでにSNMPサーバーが動いているネット上で実験したいとなると、そのサーバーに新しいAgentを認識させることになるのかなぁー、そのうちにSNMPの事ももう少し調べてみることにします。 Eggsさん、 H-02のトランスは、浜松ホトニクスがあのGM管用として売っていたもので、GM管と一緒に購入した分だと思います。このトランスでは断線は一度も経験していません。秋月のは確かA-02とかの型番だったと思います。(なにぶん、もう随分昔の事なので、あまり確かな記憶ではありません。) GM管とトランス、それに高耐圧のコンデンサとダイオードがあれば、後はパルス発振の部品でほぼセンサー部分はできるはずですから、遊びでトライしてみるのは楽しいかもですね。前のメッセージでRS232Cにつなぐにはキャラクタに変換する必要があると言いましたが、コントロール信号線(DSRかCTSが使えるでしょう。)を使えば、そんなめんどうなことをしなくてもよさそうですね。信号レベルもRS232Cレベルに振ってやらなくてもCMOSレベルでたぶん大丈夫でしょう。たいていのレシーバーはポジティブサイドの信号だけでも認識するようになっていますから。後は、シリアルポートのコントロール信号の変化をキャッチする割り込みハンドラを書いてやって、気のきいたGUIでも作ってやれば、それなりにかっこいいものができるのではないでしょうか。 さんごさん、 サッカーファンの気持も理解するように努めようと思っているのですが、 >あと日本がゴールすると本当に自然に立ち上がっちゃうし、 >まわりをみてもひとりも座っていなかったし(テレビ観戦ですが) >大声も出しちゃうしこんなはずではなかったのに、我ながらちょっと >とまどいました。 この辺の話になると、もう私の理解を越えてしまいます。 一般的にどういう時に自分が自然に興奮してしまうことがあるかを考えてみると、自分が何かを達成できた時が一番、苦労して見つけたバグを直したらそれまでにあった問題がすっきり解決した時など思わず小躍りしたくなるものです。次には、自分の身近な人、家族、親類、友人、などが何かを達成した時も、その人が身近であればあるほど興奮を共有できるというのはあります。KJさんがクイズ番組に出て1000万円を勝ち取ることがあったとしたら、その番組を見ていたらおもわず立ち上がってしまうにちがいないでしょう。(たかれる、という興奮はまた別か?) スポーツファンは、ある選手やあるチームに肩入れしてその個人やチームを非常に身近に感じるのでしょうから、そういう人たちの活躍に興奮してしまうというのは理解できます。しかし日本人のほとんどがそのチームが日本のチームであるという理由で、異様に興奮するという事態になると、それは単に「身近な人」という存在を越えたものである様な気がします。「身近な人」がどこまで外延されうるかは、その存在を自分がどこまで肯定できるかによるものでしょう。たとえば、たいていの親は自分の子供が犯罪を犯そうともわが子の存在を肯定しどこまでも我が子を防衛しようとします。それが少し離れた関係になってくると、その対象の行為を自分が肯定できなくなってくると、もはや感情的思い入れをする関係は持てなくなってしまいます。KJさんがクイズ番組で1000万円を勝ち取ったけど、そこで日の丸を振って万歳をしたとしたら、私はもうテレビを消してしまうでしょう。 国家という存在が、国民に何か無条件の感情移入を引き起こすものがあるとしたら、それは非常に危険です。そして、その感情移入の結果の行為が非常にナショナリスティクな形態をとるとしたら、それはいつなだれをうって政治的なナショナリズムに走っていくかわからないような恐怖を覚えます。 「日本」という共通の属性を持つというだけで何かに無条件に肩入れしたくなるというような感情は決して本能的なものではなく政治的な刷り込みの結果でしょう。スポーツはたぶんにその刷り込みのための道具にされていると私は感じます。
私、ガイガーカウンタを一般名詞かと思っていました・・・・ お恥ずかしい。もう一度読んできます。 この私のような人を一般的、だとするのはおこがましいんだけれど、放射能の ホの字もしらないような子たちが大勢いるっていうのは、逆にみわちゃんの プランにとってはもってこいなんじゃないでしょうか。 誰も目をつけていなかったところ、でも痒いところに手が届く、というのが ヒット商品の秘密といいますからね。(別にヒットを狙っているのではない?)
ガイガーカウンタって一般名詞化と思っていました。 ああ、お恥ずかしい。もう一度読んできます。 こんな私のような人を一般的、だとするのはおこがましいんだけれど、放射能の ホの字もしらないような子たちが大勢いるっていうのは、逆にみわちゃんの プランにとってはもってこいなんじゃないでしょうか。 誰も目をつけていなかったところ、でも痒いところに手が届く、というのがヒット商品の 秘密といいますからね。(別にヒットを狙っているのではない?)
さんごさん、サイトご訪問ありがとうございます。 ガイガー管にはレジNさんが指摘されたような問題がありますし、最終的には 「ケータイやPDAや小型ノートPCのちょっとおしゃれなアクセサリ」 という外観を目指しているので、半導体放射線センサを探してるところなんです。で、存在はするんですが、一般人が手に入れるのはなかなか難しそう、というとこまではたどりつきました。 女子高校生や女子大生や若いOLさんたちが競い合って買うような「かわいい」アクセサリで、しかも実用価値も大有り、というのが理想じゃないかと。 あ、男性用にはクールな外観のものも用意しなきゃいけないかしら(笑)