うおー。 全然関係ないけど、最近、三木道山っていうレゲエのアーティストの曲が大ブレイクしてますね。 臆面もないラブソングなんだけど。「一生、一緒にいてくれや」ってやつ。 はじめ、ラジオで聞いたとき、「『力道山』とはめずらしい芸名だ」と思った。 ぜったい聞き間違えるよな。
ちなみに、結婚式を仕切ったのは、永六輔でした。 宮崎学氏のボディーガードをやっているときに、宮崎氏と仲の良い辛さんと知り合ったそうなんですが・・・
>りっちゃんが辛淑玉さんとケッコンした話しってレジNさん知ってた? りっちゃんって、あのりっちゃんでしょう。 それって本当の話なんですか。 うーむ、世の中何が起こるの本当にわからん。
”伽藍とバザール”、”そのコンピューターは難しすぎて使えない”(VBの作者が著者) どちらも、山形氏の訳本を”わざと皆から見えるような位置で手元に置いてます。 (うちの会社では、ほぼ無意味な事が明らかになった) 今の勤務先、200名程度の会社だが、今年新卒13人も採用した(内6人は院卒:よほど景気が 悪いのか)持ち腐れ状態、 今期受注まだ0件、前の期で出来なかった遣り残し分で収益が少しだけ(大丈夫なんだろうか?) つい先日の業界のショーを見にいったところ、”キャンギャルのスカート”は短くなっていたので 景気回復の兆しかとも思われたのだが... 7日から11日まで夏休みします、青森方面(十和田、下北、津軽)を回ってきます 六ヶ所村も興味があるのですが、行程的に無理か?と
更新が滞ってる、とされる自分の「公式日記」に書けないようなことを、 こっちにみんな書いているような気がするなあ・・・ 知らない人が見ていて変なところにリンクとかされなければよいのだが。 されても仕方ないけど。
りっちゃんが辛淑玉さんとケッコンした話しってレジNさん知ってた?
zippさん えらい災難だったんですねえ。はじめて聞いたよね? 革○シンパの息子を殺害された母親も哀れだけど、妄想からスパイにされちゃたまったもんじゃない。 「スパイ狩りに血道をあげる」体質というのは、いわゆるレーニン主義的組織にあっては当然なのかもしれないけど、宮崎学が(予防線的に?)言っている「スパイなんかもまじってる方が健全な組織」っていうのもなんだかなあと思う。少なくとも、自分がそういう情報提供行為をしていたら、そんなのはたちの悪い言い逃れでしかない。 宮崎氏を信奉する(?)人たちの発言を見ていると、もうそのあたりの倫理がなくなってるのがよくわかる。「仮にスパイでもいいじゃん」という感じ。 「電脳突破党」というのも、一見「オープンソース型」の新しいムーブメントか?と思わせるものがあったんだけど、実態はどうもそうでもない。ような気がするんだけど、「用心棒」班長のりっちゃんの意見を聞いてみたいもんだ。そう、そんなところでも宮崎つながりが。 で、野田情報ですが、どうも中核ネタは単なる露払いらしく、参院選挙後にはもっと衝撃的なネタが出てくる、と噂されてます。ホンマかいな。オウムがらみらしいけど。
レジNさん紹介の『伽藍とバザール』の日本語訳はこちら http://cruel.org/freeware/cathedral.html Eggsさんが1年以上も前に印刷して社内で配ってましたね(^^; 訳者の山形浩生は、現役の野村総研社員。いっぽうで翻訳家・評論家としてもいい仕事をしている。 近著「山形道場」は必読かも。でもこの人、ハッカーを自認する割には、最近の反グローバリズムを旗印にしたラディカルな政治行動(シアトルにおけるNGOが有名ですが)には極めて否定的です。
さんごさんに、映画の話でレスしようと思いつつしそびれてしまっていたら、フランス出張が今月ありそうになってきました。 行き先はグルノーブルだし、どうせホテルと訪問先の会社の行きき以外はたいして何もできないでしょうが、ヨーロッパは初めてなのでそれなりに楽しめるかもしれません。 さんごさん、「グルノーブルならここは逃すな」というところがあれば教えてください。
zippさんがそんな目に会っていたなんて、露ほども知りませんでした。 それにしても、そうとう消耗な状況でしたね。励ましてくれた人がいたとは言え、よくぞくさらずにいられたもんです。 「The Cathedral and The Bazaar」という、Opeon Source Comunityのリーダー的存在のエリック・レイモンドという人の本を読んでいて、なかなか考えさせられるものがありました。オープンソース方式のプロジェクト展開に存在する強みは、もっと他の分野、例えば社会運動なんかにも適用できることなんだろうと思います。組織内部の団結の強化はより秘密結社的性格を帯びるようになり、より疑心暗鬼が生じ安い状況を産み、スパイ狩りなんかに血道を上げてしまう末路にいたる。秘密結社的性格をいかに強化しようとも結局は秘密はもれる。これは、クローズドソースによってセキュリティを守れるとする誤った考え方のソフトウェアと似ています。 私もこの本を読むまでは知らなかったのですが、新しいオープンソース運動の流れの中では、従来のGNUの中にあった考え方から大きく一歩進んで、カセドラルモデルからバザールモデルへの意識的転換を計っています。 興味のある人は是非本を読むことをおすすめします。(KJさん、日本語版もでているのでしょう?)基本概念をごくごく簡単に紹介してみましょう。 従来ソフトウェアの開発は緊密なコミュニケーションのとれる小人数の命令体系も整った強固なチームでなければろくな仕事はできないと信じられていて、フリーソフトウェアの開発の場合でもそれは例外ではありませんでした。これは、カセドラルを作り上げる職人集団のスタイルの様なのでカセドラルモデルと言われます。一方、オープンソースの考え方は、何もかもオープンにして多くの人たちの参加でバグの多いベータ版のリリースを頻繁に繰り返し最終的に品質を上げていくやり方です。バザールで人々がワイワイ言いながら何かを作り上げていく様にみえるので、バザールモデルと言われます。 私たちは従来カセドラルモデルを神話の様に信じてきた一方、バザールモデルが有効である例をほとんど知りませんでした。Linuxの開発は、まさに神話をつき崩し新しいモデルの有効性を証明することだったわけです。この本の筆者は自分がその新しい方法論を意識的に適用してもさらにその有効性を確認することに成功しています。 バザールモデルがどこまで商業社会の中でも成功できるか、実際に成功できる分野があることはすでに十分証明されていると思うのですが、はたしてどこまで一般的に広がれるのかそれは非常に未知数なものがあり、この本を読んだだけではちょっと判断しかねるというのが私の実感です。しかし、何かそこに大きな希望のようなものを見る事はできます。 さて、話を社会運動に戻してみると、私が思うに哲学としての組織論はレーニン主義の存在があまりに大きかった。これは、ある意味で大きなカセドラルモデルでしたね。多くの運動が草の根運動にとってかわられても、それをバザールモデルとして対抗的に位置付ける思想的試みはなかった様に思います。いや、たぶん多くの人が試みていたのでしょうが、ソフトウェアの開発と違って話が抽象的すぎて有効性を多くの人が確認するにはいたれなかったという方が正しいかもしれません。あらっぽく言えば、「大衆運動戦術」であるか、「理屈なんざぁーいらねぇー」かのどちらかだったのでしょう。 別の意味でカセドラルモデルである日本の企業社会に対する感覚的反発は、ある意味でアナーキーな行動へと人々をかりたてがちでしたが、それは「若げのいたり」ですまされるか、「生涯アウトサイダー」を決め込まされるかで、真剣に戦うにはレーニン主義という別のカセドラルモデルしかない。これでは、カセドラルモデルから逃げる術はないに等しくなってしまいます。 ソフトウェア界におけるオープンソースの流れは、新しい哲学の流れの一つなのかもしれないと、私はそんな気がします。マイクロソフトというゴリアテとの戦いにその流れが矮小化されてしまうのはとても残念で、もっといろいろな分野でこの新しい哲学を試してみる値打ちがありそうに思います。