(上から、続く) 以下、この秘密に抵触しないように書きます。 この映画を見て、ラルシュ(l’Arche)のことを思い出したのでした。 もちろん、この映画にラルシュが出てくるわけではありません。 ラルシュというフランスで始まった知的障害者のコミュニティーをフィリ ピンで95年に知りました。世界中に100カ所以上あって、アジアでは フィリピンのほかに日本とインドに4カ所の計6カ所のコミュニティがあ ります。(ちなみにぼくはこのすべてにおじゃましました。ちょっと自慢 モードです(笑) 以前、障害学研究会が終った後の飲み会で、このラルシュの話をしたことが あります。(これは昔、障害学MLには少し書きました) そこで「知的障害のある人と家族のように暮らす事の大切さ」という言い方 をして、「どうして家族なの」と某フェミニストに顰蹙を買ったことがある のですが、そのラルシュのコンセプトはひとりひとりがかけがえのない存在 だということを具体的にいっしょに暮らすことでわかってもらうということ です。そのコミュニティでは知的障害のあるメンバーを英語ではコアメンバー と呼びます。いつも、片隅に追いやられがちな人たちが中心にいなければな らないという考え方からきています。 コミィニティに入るときには「コアメンバーに何かを教えよう」なんて思わ ないでください。ここでの生活は彼ら方が、よく知っています。」と注意さ れます。で、食卓を囲むときも彼らがごく自然に中心になります。もちろん、 ときどき脱線して、アシスタント(いっしょに生活する人をこう呼びます。) だけの話になっちゃうこともありますが、基本は彼らが中心です。 だから、彼らのコミュニティーは家族と同じくらいの人数で、ということに なっています。ぼくはアーレントをちゃんと読んだわけではないのですが、 「親密圏」の必要性というのが、ここに体現されているような気がします。 いっしょに暮らす事でアシスタントも癒されるようなコミュニティというこ とも考え方のひとつになっていてます。もちろん、日常生活の中でコンフリ クトがないわけがなく、理想郷ではないし、そんなことは考えられてもいな いのでしょうが、ぼくはビジターとして数日(日本)から数ヶ月(フィリピ ン)入っって、とても居心地がよかったのは確かです。(インドではそれぞ れのコミュニティで1週から数週間滞在しました。) ジャン・バニエというカトリックの人が神父(名前忘れちゃいました)といっ しょにフランスで始めたコミュニティで、そこに規定されている部分は今でも 大きいと思うのですが、カトリックの一部分というわけではありません。イン ドのコミュニティにはヒンドゥーの人もたくさんいました。 ただ、考え方としてスピリチュアリティ(祈り)の重要性というのは強調され ています。 (スピリチュアリティに祈りというルビを振る強引さをお許しください) あらら、映画の紹介を書くつもりがラルシュの紹介を長々と書いてしまいまし た。結論を書くと「親密圏」(ここでは家族ですが)の重要性がこの映画の大 きなテーマだと思ったのです。 やっぱり、この秘密に抵触しないように、この映画の紹介は書けそうにありま せん。 ときにはとてもうっとおしく、桎梏にも簡単に転化する家族が一般的な「親密 圏」です。 しかし、生きていく上で「親密圏」というのは必要だと思うのです。その親密 圏を家族に限定しない生き方がこれからの課題になっていくという意味では、 障害者介助-自立生活を考えていく上でも重要なキーポイントになっていくよ うな気がします。 そのあたりに、有償の介助にこだわる人たちの気持ちもオーバーラップするの でしょうか。(ここで有償の介助にこだわる人たちというのは、否定的にこだ わる人、つまり介助に金銭を媒介させることに否定的な人のことをイメージし て書いてます。) さて、おきて破りぎりぎり(というか、少しおきて破りぎみに) 秘密のヒントを書いちゃうと、知的障害だけを扱った映画ではないということ です。CPの人がかかえる問題に興味のある人には必見と書いておきます。 ここでの描かれ方に問題がないわけではないと思うのですが。 P.S. この映画のパンフのつくりはとてもかっこいいです。ただ、このとっても素敵 な紙芝居風のケース入りパンフの絵の方に入ってるキャプションが日本語では なくてフランス語なのが残念です。あそこを素敵な日本語にできればよかった のに、と思いました。だって、わかんないんですから。 ==ここまで==
つーたさんの書込みを見て、Mapionを使ってみました。 http://www.mapion.co.jp/here/www408019499.html 少々わかりにくいですが、右端中央がJR浦和駅西口です。 丸に十字のマークがチャントラーの場所(確かこの辺だった・・・)。 とても細い道沿いの雑居ビルの2階です。 かなりわかりにくい場所にあるので、どこかで待ち合わせた方がいいと思うのですが、 どいのくんと相談してみます。
お願いその1 丸木の流れを断ち切って、浦和にいけるかどうか自信がないんですが 「行けたら参加扱い」はお願いできませんでしょうか。 その場合、「席がないから立ってろ」とか「食い物がなくなってても割り勘」 の罰はしかたないものとあきらめます。ただ、前者の罰はお店の中でお願い します。もちろん、お店の人がそういうことを許してくれればって、書きつ つ、しゃれじゃなくなっていきそうなのが怖い。 お願いその2 どこか適当な地図サイトで場所を示してくれるとうれしいです。
参加します。 時折旬も参加すると申しております。 >Highさん チャントラーへの最寄駅は、JR浦和駅(京浜東北線・東北本線・高崎線)です。 駅西口から歩いて7~8分といったところでしょうか。
新年会の場所は、浦和でしょうか?(チャントラーって何処?) 日時は、ムリクリ都合付けますので (勤務先から推定1.5時間程度?の距離)
浦和・チャントラーに参加します。日曜日の夜とは、かなりおとなしく しっとりとなりそうだ。みなさんも参加表明しましょうよ。 閑話休題。明日から温泉。じゃあね。
レジNさんの要求もあったので、遅まきながらどくんごのDMをスキャンしてみました。 http://member.nifty.ne.jp/dokungo/images/dm_2000_12.jpg に、こっそり置きましたのでDM来てない方は見てみてくださいませ。 どいのくんも言っているとおり、内容的にはホームページとまったく同じです。
なんか世間は仕事はじめということらしいのに、まだまだ正月休みの真っ最中です。 箱根ってPHSが使える。まああたりまえか。仕事のメールもちょぼちょぼ来ていますが、9日まで基本的に処理しません。 あはは。
こちらでは、3が日という概念自体が存在しなくて、仕事は二日から始まりました。 連休明け気分というのはどこでも同じで、なんとなくけだるくてあまり気が乗らないので、ここにメッセージを書き始めてしまいました。 会社ではいろいろな国の人たちが入り乱れて働いているのがごく普通のシリコンバレーでも、私生活の面になるとやはり同じ国の人たちが集まる傾向があるようで、クリスマスや新年のパーティになると、主催者のナショナリティーが多数をしめることになってしまうようです。かくいう私の家でも小さな大晦日パーティを開きましたが、香港人女性の友人が来た以外は、近所から外国人を夫に持つ日本人女性が集まって来た形になってしまいました。職場のインド人同僚を誘ったのですが、他のパーティの約束がすでにあったりとかして、みんな都合が合わなかったようでした。 なにかにつけマイルドな味が好みの日本人と、強烈にスパイシーな味が好みのインド人は、パーティなどで互いに楽しめる食べ物を準備するのが大変で、その辺が単に都合が合わなかっただけという背後にはあるかもしれません。他のパーティでも多少それが影響していることでしょう。日本人はスパイシーもけっこう楽しめる(もちろん、たまにはですが)と思いますから、インド系のパーティに行ってもさほど困らないでしょうが、インド人たちは日本食の味付けはどうもマイルドすぎて駄目なようです。アメリカ暮らしの長いインド人はこちらで人気の「にぎり寿司」などには慣れていて、けっこう好きになっている人もいますが、他の料理になるとやはりスパイス不足を感じることでしょう。 炊きたてほかほかの銀しゃりご飯は、それだけでもとてもおいしいと思うのは日本人だけで、インド人にしてみれば「味がない」ということになってしまうようです。 やはり子どものころに慣れ親しんだ味覚というのは、強く体に染みついているものなんでしょうね。こちらに移り住んだ人たちも、それなりに自分の国の味をキープして生きているように見えます。ここに住む人々がそれをどう思っているのか、正確には知りませんが、インド人コミュニティーがあるおかげでおいしいインドレストランが存在し、中国人コミュニティーがあるおかげでおいしい中華レストランが存在し、・・・、という具合であるのはそれなりに楽しいと思っているところもあるように見えます。 ただ、パーティの様な仕事以外の場で交流が進まないと、どうしても文化的な面での理解の度合いが深まらず、仕事の場で入り交じっている割にはまだまだお互いが十分理解しあっているとは言えないように思えます。特に、インド人と中国人の2大勢力がもう少し交流しないと、シリコンバレーで多民族が協力し合っていると胸を張って言えるのは、単にビジネス面だけということになってしまうでしょう。政治的にもあまり仲のよくなさそうなこの二つの民族がシリコンバレーを通して新しい関係を築いていければとてもいいことでしょうが、それは言うほど簡単ではないということです。たぶん、そういう関係作りは時間がかかることで、特にインド人のハイテク労働者はここ数年にどっと押し寄せてきた感じなので、まだまだこれからと言えます。
> 20時からなら丸木美術館のイベントと掛け持ちは不可能ではない、と判断。 確かにそのとおり。 だから、困った。今回はあきらめようと心の中で整理してたのに。ぶつぶつ。 確かに同じ埼玉県ではある。 設定はもうこれでいくしかないような気がしますが、 ぼくが行けるかどうか? こ、困った。 結論出すのもうちょっと待ってください、と、相変わらず優柔不断なわたしでした。 P.S. この下の丸木のお知らせですが、わたしがなんだかんだと美術館にかかわり はじめてもう10年になります。 その間に丸木位里さんも俊さんも亡くなりました。 彼らの書いた原爆の図を展示し続けるというのは、美術館の大事な役割なの ですが、この美術館がいまを生き残っていくためにどうしたらいいのか、試 行錯誤を続けているのが現状だと言っていいと思います。 この企画展もその試みの一つです。