メールや電話、人づてにご心配をいただいた皆様へ ※4月上旬現在の内容です。半月たっても大きくは変わっていません。 震災発生以来、メールをいただいた皆様へ十分な返事をしていませんでした。私自身の生活は平時に戻りつつありますので、これまでの経過を若干ご報告させていただきます。部分的には報告した部分もありますが、皆様へ同じメールを送りますので、ご容赦ください。 【公私の状況について】 当家は小生が山形で単身赴任、妻と長男(9歳、新小4)、長女(5歳、新年長)が仙台のマンション暮らしです。発生時は小生は山形で仕事中、妻は自宅、長男は学校、長女は幼稚園が卒園式の準備で短縮授業で帰宅済みでした(いつもの時程だと4キロほど離れた幼稚園に迎えに行かなくてはならず、車もバスも動かない状況で大変だったことでしょう)。自宅は仙台市南部の長町というところで、津波で多数の死者を出した若林区荒浜からは7~8キロほどしか離れていないのですが、停電と断水を除き、建物の深刻な被害はありませんでした。ただ、電気がないとエレベーターも動かず、水が出なければトイレも使えないので、家族は山形に疎開させました。うちで停電が復旧したのは15日で、通水も平地は早かったため、まもなく復旧したようですが、電気温水器が壊れた(4月1日復旧)ので、家族は丸2週間山形のワンルームマンションで暮らしていました。後述しますが山形県内は停電も翌日には復旧し、発生直後はガソリンの供給もできたため、ガソリンや食糧など会社の物資調達拠点になりました。いちばん大変だったのはガソリンで、発生から1週間程は5リットル限定とか10リットル限定で、5時起きで半日がかりというありさまで、雪の中を行列した次第です。車で並ぶのですが、ガソリンがもったいなくて、セーターにスキーウエアを着込んでスキー用の手袋をしても寒かったです。あれから半月しかたっていないのに、もう春の陽気です。このころは、家族も仕事場に居候させ、炊き出し要員として働いてもらいました。妻はおにぎり作りやから揚げ製造、子供はゆで卵の計数と箱詰め、といった具合です。発生から1週間ほど、仙台市内はコンビニもスーパーも一部を除いて閉店、飲食店もガスが使えず休業、自宅はガスや水道が出ない社員が多かったので、山形から毎日営業車を出し、食糧補給をしました。それでも、500人近いほぼ泊り込みの社員に1食おにぎり1個を出すのが精一杯だったということで、事実上の避難所状態でした。まあ、沿岸部の避難所に比べればはるかに恵まれていたと思いますが、会社のトイレも水が出ず、数日間は浄化槽直結のトイレに限り、バケツで水を流しながらの用足しだったようです。さて自宅の状況に戻りますが、自宅のある仙台市南部の平野部は軟弱地盤地域ですが、今回の地震では地盤が安定しているはずの仙台市北部で建築物の被害が深刻です。地下鉄は北部の泉中央という地区で未だに不通です。地震は建物や地盤の性質によって、被害を大きくしやすい周期が決まっているそうですが、どうしてこのようになったのか、ちょっと不思議です。それはそれとして、子供の小学校は3月29日に修了式があり、4月11日に新学期が始まります。幼稚園は高台の住宅地にあって最近まで断水していたため、もう少し遅れますが、自宅の片付けも終わり、ライフラインも元通りになったので、一応ご報告といたします。 【仙台の状況について】 きょうは、かつて勤務していた登米に行き、お世話になった人に灯油を差し入れしてきました。高速道路から見る仙台市若林区と宮城野区の海岸地帯は、乾き始めた泥が舞って砂漠のようでした。仙塩地区を結ぶ国道45沿いは建物に泥水の痕跡がくっきりと残っていて、仙石線の線路が陥没していました。でも、それぞれに復旧作業が行われ、ガソリンスタンドの営業が再開され、行列も比較的短くなっています。ある程度、事態が落ち着いてみて、はっきりいえることは、津波に遭った人は状況が改善しないか遅遅としていて、遭わない人はほぼ日常に戻ったということです。ふつうの地震災害では震度に応じて同心円状に被害程度が変わっていくため、地域の中では境遇が似通うものですが、今回は違います。登米は、南三陸町の隣町ですが、古い住宅や塀が壊れている以外は、至って普通の暮らしに戻っているそうです。津波が来たところの変わりぶりと、来なかったところの復旧ぶりが、線を引いたようになっているのが、残酷だなあと思いました。わたしは被災地の深刻な実情は分かりませんが、映像を見ている限り、よく知っている場所がめちゃくちゃです。菅首相が高田松原を「岩手県民が海水浴に来る場所」と言っていましたが、違うのです。三陸に住む人の誇りであり心のよりどころなんです。ただ遊びに行く場所という感覚でしか語れない想像力の貧しさに唖然とします。気仙沼は遠洋漁業が下火になって経済的には冷え込んでいましたが、穏やかで文化的な土地です。岸壁の前が商店街で、満潮時は海面から50センチの場所に人々の暮らしがあるような、風情ある町並みが消えてしまいました。寂しいなあ。菅首相ではないけれど、子供を遊ばせた砂浜も、去年も何度も行った海辺のプールやサイクリングロードも、タラ3匹500円というような日曜朝6時の朝市も、ぜんぶ津波に飲まれてしまいました。だけど、仙台の暮らしは少しずつ日常に戻ってきています。あとは、経済活動を立て直しながら、東北の中でも、被災地を応援しなくてはいけません。頑張っていきましょう。 長くなりました。携帯系アドレスの人、制限を越えていたら、ごめんなさい。取り急ぎ御礼まで。失礼します。
TACさん、おひさしぶりです。 松山で会って以来ですね。 岡山とか、松山とか、瀬戸内海の都市は、自然の大災害からは他の地域よりは安全で いられるところですが、原発の人災からどうしようもないですね。 上関なんか作られたら、いよいよ瀬戸内海もおしまいですね。
遅ればせながら、私もやってきました。レジNさんとは、8年ぐらい前に松山でお会いしましたが、他の方は約20年ぶりなのかな、と。 それで私も、かつての「放射性れんこん」を引っ張り出して読み、この20年間を振り返ると、何だか丸谷才一氏の「笹まくら」のような心境になりました。 ちなみに、私は相も変わらず岡山在住ではありますが、考えてみれば北西約130キロのところには島根原発があったり、西の方には伊方原発があったりと、それなりに微妙な立地にあるようなところです。そうそう、上関原発の建設計画(というか、既に造成が始まっている)もありますし。 ということで、またよろしくお願いします。 なお、文中の「笹まくら」については、こちら http://www.ttcbn.net/no_second_life/2009/07/-by-book-review-22.html が参考になりますが、未読の方にはぜひともご一読をお勧めします。
高円寺いいなぁ・・・。 たまごさんがどれくらいおっさん顔になってるのか想像して(ハゲ頭になってるとか) 楽しみにしてたけど全然変わってなかったね。
ご本人、セルフ替え歌です。 http://www.youtube.com/watch?v=int79udDqMo&feature=related 削除とUPとのいたちごっこで、拡散側の勝利のようです。(笑) (一部の国外からは見れないとの情報もあるようです。)
東電は災害用ロボット投入を躊躇しているらしいけど、なんか重大な秘密を暴かれたく ないからなのかなぁ・・・。
加納くんと加賀山くんを間違ってしまった。 ごめんね加納くん。 その過程で、加賀山くんが無事らしいことがわかって良かった!です。 なんや日本政府メディアの発表の放射線値および「ただちに…」で、どんどん麻痺してくる感じ。 文部省の放射線の値をこんな図にしてる方もおられました。 見事にホットスポットがあるね。 http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20110322 京大原子炉グループの今中さんたちが飯館村に入って痩躯呈した結果を今夕発表しました。 http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/ 当然ながら母乳からも放射能が出てました。名古屋のグループが検査したものです。 あぁ、リンク先が見つからんけど…、河田昌東さんたちのグループです。
Eggsです。 > 時間があれば行きたいかなぁ。いまのところよーわからんけど・・・。 いやー、ぜひ来てください! 目標30万人なので(笑)
Eggsです。 Arduino unoは千石で税込み2,995円でした。 レジNさんの机の上に置いておきます。 http://www.techlib.com/science/geiger.html このページの回路だと確かにシンプルですが、秋月の回路のためのパーツを買ってしまったので、とりあえず空いた時間で秋月の回路で組んでみようと思っています。
時間があれば行きたいかなぁ。いまのところよーわからんけど・・・。